メディカルエッセイ

第186回(2018年7月) 裏口入学と患者連続殺人の共通点

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 過去には二十人以上の裏口入学者が出た年もありました。去年は「裏口入学の申込者が七十人くらいいて大変だ」という話を聞きました。去年の一般入試の定員は七十五人ですから、もちろん全員を受け入れたはずはないでしょうが・・・・
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 これは「週刊文春」2018年7月19日号に掲載された東京医大のあるOBのコメントです。75人の定員に裏口入学が20人以上...。これが事実なら(OBが述べているからその可能性が高いでしょう)国を挙げて捜査すべきではないでしょうか。

 裏口入学って本当にあるの? これは私が医学部に入学してから知人から何度も聞かれた質問です。その度に私は「自分の知る限りない」と答えてきました。実際、私の母校の大阪市立大学医学部では「過去も現在も一例もない」と私は今も信じています。6年間の在学中も卒業してからもそのような話は一度も聞いたことがありませんし、極端に学力が低い医学生も見たことがありません。

 ただ、私が医学生の頃から「私立の医大では裏口入学がある」という話は何度か聞いたことがあります。また、替え玉受験の噂も数回聞いたことがあります。ですが、当時も今もそのようなことを検証する気力もコネも私にはありませんし、おそらく他の医大生や医者もそうでしょう。このような「詐欺行為」はあってはならないわけですが、分かりやすい"被害者"がいるわけではありませんから、告発する人がいませんし、訴えがないなら警察や検察も動くことはありません。

 ですが、今年(2018年)に発覚した「東京医大裏口入学事件」をきっかけに不正行為の徹底調査をおこなうべきではないか、と私は思います。いえ、私だけでなくほとんどの国民がそう思うでしょう。先に「被害者はいない」と述べましたが、正確にはいます。まず、不正行為で入学した者のせいで合格点に達していたのに不合格にされた「正直者」は被害者です。また、たとえ医師国家試験に合格していたとしても、医学部に不正行為で入学した者に医療行為を受ける患者さんはどうなるのでしょう。

 医師国家試験に合格しているのだから医学部には裏口入学で入っていても別にかまわない、と思える人はどれだけいるでしょうか。そもそも医師国家試験は合格率が9割を超える"簡単な"テストです。簡単と断言するのは問題かもしれませんが、「それなりの勉強」をしていれば不合格になることはありません。「それなりの勉強」というのは、高校受験や大学受験とは異なります。

 少し話がそれますが、せっかくですから国家試験の種明かしをここでしておきましょう。例えば難関大学の受験(もちろん医学部も)や司法試験などのような合格率が低い試験というのは、他人が解けない問題を解かなければ合格はありません。ですからいわゆる「難問」にも対応せねばならず、全問ではなくても多くの受験生がむつかしいと感じる問題にも正解する必要があります。

 一方、医師国家試験のような9割以上が合格する試験の場合は、大半の受験生と同じ選択肢を選べば合格するわけです(医師国家試験はマークシート方式)。さらに医師国家試験の場合は、正解率の低い問題は「無効」とみなされるというルールもあり、合格するには「みんなと同じ答えを選ぶ」が近道になります。実際、私が医師国家試験を受けたとき、「これはよくあるひっかけ問題だな」と感じれば、ひっかからないように回答しましたが、「これはどちらの意味でも解釈できるからおそらく正解率は下がるはず」と感じた問題は不正解でもOKと判断しました。医師国家試験に不合格となる者というのは、勉強のできない学生では決してありません。普通の医学生が読まないような高度な専門書を学生のうちから読んでいて一目置かれているような学生、つまり他の誰もが分からない問題を答えることができる学生が不合格になることもあるのです。

 話を戻すと、医師国家試験に合格したから医学部に不正入学していてもかまわないという考えは完全に間違っています。「医師は公人であり公僕である」というのは私が言い続けている言葉で、これを万人に押し付けるつもりまではありませんが、医師になるための試験には「公正さ」が絶対に必要です。

 ところで、そもそも不正をしてまで医学部に入学するメリットはあるのでしょうか。「ある」からそのようなことをする者がいるということでしょう。これについては後で述べるとして、最近報道された裏口入学以上に衝撃的な事件を振り返っておきましょう。

 横浜市の病院で2016年に起こった連続殺人事件は、ひとりの女性看護師が消毒液ジアミトールを患者さんの点滴に混入させたことにより発症しました。2018年7月の逮捕後「20人以上にやった」と自供しているとか...。
 
 俄かには信じがたいこの事件、動機がよく分かりません。一部の報道では「自分が勤務のときに患者が亡くなると対応が面倒くさい」と話しているとか...。しかし、そのような理由で殺人を犯すでしょうか。これが事実だとすると精神疾患を患っていたということになるのでしょう。とすれば罪に問えなくなるのでしょうか。

 報道から判断すると「この女性は看護師になるべきではなかった」のは間違いありません。患者さんや家族とのみならず他の医療者ともコミュニケーションがとれていなかったようです。看護師には、そして医師にも「向き・不向き」が間違いなくあります。さっさとそれを自覚して、仕事を変えるべきだったのです。

 こういうと「せっかく苦労して資格をとったんだから...」という声が上がりますが、看護師免許があれば有利な仕事は他にもたくさんありますし、看護師として働くとしても患者さんとコミュニケーションをとらない仕事(例えば健診の採血など)もあります。

 医療者にとって絶対に必要なものはいろいろとありますが、私が最も重要だと思うのは「医療に対する畏敬の念」です。過去に紹介した「ヒポクラテスの誓い」やフーフェランドの「扶氏医戒之略」も「畏敬の念」がそれらの基礎にあると私は考えています。我々医療者は医療の原理原則には跪くしかないのです。だから、いかなるときも患者さんの利益にならないことはやってはいけませんし、信頼を失うような言動をおこなってはいけないのです。

 過去のコラムで私は「医師(のほとんど)は人格者だ」と述べました。私を昔から知る人達からは「お前が言うな!」と笑われるでしょうが、そんな私でも「人格者にならねばならない」と日々思い続けています。患者さんは自分の家族にも言えないようなことも医療者には話します。通常の社会生活では他人にホンネを話すことはさほど多くないでしょうが、医療者には本当に困っていること、辛いことを話します。

 我々医療者は、もちろん医師のみならず看護師や他の職種の者も、そんな患者さんの要求に答えなければなりません。それなりに辛いことがあっても、医療者としての矜持は失ってはならず、その矜持を維持するには「医療に対する畏敬の念」が必要です。不正行為が過去にあるなら「畏敬の念」を抱けるはずがありませんし、患者さんとのコミュニケーションを放棄するのならすでに医療者の「矜持」をなくしています。

 裏口入学をおこなった者は直ちに医師を辞めるべきです。それができないのであれば、少なくとも患者さんと接する仕事からは手を引くべきです。それくらいの「良心」はまだ残っていることに期待します。良心の呵責に生涯苛まれながら自身の過去を隠し通して患者さんと関わることは相当辛いに違いありません。美容外科手術で人相を変えて警察から逃げ続ける指名手配犯のようだ、と言えば言い過ぎでしょうか。