はやりの病気

第195回(2019年11月) 本当はもっと多い(かもしれない)腸チフス

 数年前から複数のメディアから取材を受けることが多い感染症が「梅毒」です。「梅毒が急増している」と言われ、たしかに統計上もそのようになっています。しかし、実感としてはそんなことはなく「梅毒は昔から珍しくなかった」というのが、私が言い続けているコメントです(例えば、毎日新聞「医療プレミア」「再考 梅毒が「急増している」本当の理由」)。

 実際、太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)では梅毒の新規感染者は過去13年間で大きな推移はあまりありません。ただし「内訳」は大きく異なっています。オープンした2007年から2014年頃までは、梅毒の診断がつくケースの大半が「他院では治らなかった皮疹」で受診、というケースです。他には「原因不明のリンパ節腫脹」「長引く咽頭痛」などから診断がついたこともありましたが、圧倒的に多いのが皮疹です。なかには大学病院で生検(皮膚の一部を切除する検査)までおこなわれて結局診断がついていないという症例もありました。

 一方、最近梅毒の診断がつくのは、保健所などの無料スクリーニング検査で「疑いがある」と言われて谷口医院を受診したというケースです。梅毒は自然治癒もありますし、別の理由で抗菌薬を処方されてしらない間に治っていたということもよくあります。以前、どこかの政治家が「梅毒が増えているのは中国人が持ち込んだからだ」と発言して問題になったことがあります。そのような事実が確認されたわけではありませんし、もしもこのような事実があるなら梅毒以外の性感染症も増えているはずです。梅毒だけが"統計上"増えているのは昔からあったものが見逃されていただけだ、と考える方がずっと自然です。

 さて、今回お話したいのは梅毒ではなく「腸チフス」です。この感染症は梅毒より遥かに少ないのは事実ですが、実はそれなりに多いのではないか、というのが、私が考えていることです。その理由を述べる前に腸チフス全体のおさらいをしておきましょう。

 腸チフスはチフス菌と呼ばれるグラム陰性桿菌(グラム染色でピンクに染まる長細い菌)で、主に食べ物を介して口から感染します。インドやパキスタンといった南アジアでの感染が最も多く、日本人が現地で感染することも珍しくありません。かつての日本でも猛威を振るい太平洋戦争の頃は年間数万人が罹患していたそうです。その後抗菌薬の普及により90年代にはパラチフス(注1)と合わせて年間100人程度で推移しています。その大半が海外で感染し帰国して発覚というパターンです。

 しかし2014年に集団感染が報告されました。医療ニュース2014年10月6日「東京のカレー屋で腸チフスの集団感染」で紹介したように、東京のカレー屋で8人の男女が食中毒症状を訴え、そのなかの6人からチフス菌が検出されたのです。保健所の調査により、最終的には合計18人がこのカレー屋の料理で感染していたことが分かりました(注2)。インドに帰国していた従業員が現地で感染し、日本に戻ってきて調理した生サラダにチフス菌が混入したものと当局は推定しました。尚、当事者のインド人は無症状だったそうです。

 この食中毒事件を「稀な事件」と捉えていいでしょうか。私の答えは「否」であり、たとえ海外渡航しなくても日本人にもリスクはあると考えています。したがって、まず自分自身を守らなければならないと判断し、私自身がワクチンを接種しました。といってもこのワクチンは日本では認可されていませんから、タイ渡航時に知人の医師が勤務する医療機関で接種しました。

 「日本人にもリスクがあり、実際には感染者数がもっと多い」と私が考える理由を述べていきます。

 まずひとつめに「感染しても気付いていない人」がそれなりにいます。実際、件のカレー屋のインド人は自分自身が感染したことに気づいていなかったわけですし、当局のこの調査でさらに無症状病原体保有者が1名確認されています。

 次に「感染しても軽症で済む人」がそれなりにいます。軽症の人は医療機関を受診しませんから、感染して軽い症状が出たが自然に治癒した、もしくは症状がとれて保菌者となった、という人がそれなりにいるはずです。

 その次に考えられることとして、「それなりの症状が出て医療機関を受診したけれども正確な診断がつかなかった。しかし抗菌薬が処方されて結果的に治った」という例もかなりあると私はみています。これはちょうど冒頭で述べた梅毒と同じで、実際の臨床現場では「とりあえず抗菌薬が処方されて診断がつかぬまま治った」というケースがかなりあるのです。ちなみに、私自身は「安易に抗菌薬を使うな。抗菌薬を処方するのは原因菌が特定されたかまたは強い根拠を持って推測できるときだけにしなければならない」と医療者に対して言い続けています。

 まだあります。通常下痢や発熱が生じると患者さんも我々医師も食中毒の可能性を考えますが、下痢が起こらなかったときはどうでしょう。腸チフスは高熱と皮疹が出ても必ずしも下痢が起こるとは限りません。便秘となることもあります。このような状態で食中毒を、さらに腸チフスを疑うことができるでしょうか。

 海外渡航歴のない国内発症例はどれくらい報告されているのでしょうか。国立感染症研究所の報告によれば、2013年1月から9月末までの9ヶ月で合計49例の腸チフス報告があり、そのうち18例は明らかな海外渡航歴のない国内感染例です。同研究所によれば、この18人がどのように感染したのかについてはほとんどが不明です。

 米国では果物からの感染が報告されています。2010年、国外から輸入されたmamey(日本語では何と呼ぶのでしょう。私は食べたことがありません)の冷凍果肉からの感染がCDCにより報告されています。

 こういったことを踏まえると、海外に渡航しない日本人が腸チフスに感染する可能性は決して少なくないと考えるべきです。そして、腸チフスがやっかいなのは(梅毒と異なり)重症化することがあるという事実です。最近は薬剤耐性菌が増えてきており強力な抗菌薬の長期投与を余儀なくされる例も増えてきています。

 こう考えるとワクチンをうちたくなる人もでてくるでしょう。実際、谷口医院にも感染症に興味のある患者さんからはそのような要望が寄せられています。私自身がおこなったようにタイでのワクチン接種を勧めているのですが、そんなに簡単に海外には行けないという人もいます。谷口医院は未認可のワクチンを扱わない方針なのですが、あまりにも要望が多いこともあり例外的に腸チフスのワクチンを入荷させることにしました。ただし、輸入には様々な経費がかかることから当然のことながら高くなります。私がタイで接種したワクチンは約500バーツ(約1,500円)でしたが、谷口医院での費用は8,800円になります(注3)。

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注1:腸チフスと似た名前の感染症にパラチフスと発疹チフスがあります。パラチフスは細菌学的に腸チフスと似ています。ただし腸チフスのワクチンは効きません。しかし一般にパラチフスは腸チフスよりも軽症です。発疹チフスは「チフス」の文字が入っていますが、細菌学的に腸チフスやパラチフスとはまったく異なる種類で、リケッチアと呼ばれる病原体が原因です。なぜ、全然違う種類の病原体に同じような名前が付けられたかと言うと、腸チフス、パラチフス、発疹チフスのいずれも似たような発疹を呈するからです。ちなみにこれらの発疹は梅毒のときに生じる皮疹と似ていることがあります。話はまだややこしくなります。腸チフス、パラチフスは英語ではそれぞれTyphoid Fever, Paratyphoid Feverというのですが、腸チフス菌、パラチフス菌を英語ではSalmonella Typhi、Salmonella Paratyphi Aと呼びます。つまり、これら2つの菌はサルモネラ属に属する、つまりサルモネラ菌と同じ仲間なのです。

注2:この事件の概要は国立感染症研究所が報告しています。

注3:他のワクチンも驚くほど安いことから、私は海外渡航の多い人にはタイでの接種を勧めることがしばしばあります。例えば、麻疹・風疹・おたふく風邪の三種のワクチンを日本で接種すれば合計16,000円(谷口医院の場合)かかりますが、バンコクのマヒドン大学にある「Thai Travel Clinic」ではわずか227バーツ(約800円)です(2019年11月20日現在)。

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2019/12/09

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