マンスリーレポート

2020年2月 新型コロナの混乱から「幸せ」を考える

 前々回は、「承認欲求が強すぎるとしんどくなる→万人から好かれる必要はない」ということを、前回は、「いつも幸せで当然という考えは捨てるべし=人生はたいていは辛いことの方がずっと多いもの」ということを述べ、それを認識している方がかえって"幸せ"なんだ、という自説を紹介しました。

 今回は、現在流行し混乱を招いている新型コロナウイルスから「幸せ」について考えてみたいと思います。

 まず、新型コロナについて簡単にこれまでの経緯をまとめておきましょう。2019年12月に中国武漢市で発生した新型コロナウイルスは重篤な肺炎をもたらし感染者が次第に増えていきました。毎日新聞主催の私のミニ講演は1月23日に開催され、そのときに「医療プレミア」の編集長から「講演で新型コロナについて何か話すように」という指令を受けました。しかし私の知る情報はWHOなどの公式発表とメディアの報道だけですから面白い話はできません。スライドは1枚だけにしました。このときにはまだ日本では感染者の報告はありませんでした。

 その後日本でも感染者がみつかり世界中に広がりました。当初この感染症を診断した武漢市の30代の医師が死亡し、それまで世間に流れ始めていた「さほど深刻なものではないのでは?」という楽観的観測に釘を刺しました。一方では、マスクがどこも手に入らない、新型コロナを積極的に診ている病院の関係者の子供がイジメに合う、中国人が宿泊している旅館の宿泊客のキャンセルが相次ぐ、中国人というだけで診療を拒否される(注1)といった出来事が相次いでいます。マスクを高値で売りさばく輩もいるとか......。

 新型コロナに対する世間の反応として私が感じているのは「極端な楽観視」と「極端な不安感」が入り乱れていることです(注2)。「新型コロナなんてインフルエンザと同じようなもの」とツイッターで嘯いている医師もいるという話を聞きました。一方で、不安感から外出を恐怖に感じている人もいるようです。

 極端な楽観と極端な不安、これらは一見正反対の感情のように見受けられますが、「幸せ」をキーワードに考えてみると、根は同じであるように私には思えてきます。

 解説していきましょう。新型コロナを極端に楽観視する人たちというのは「リスクに向き合うことを避ける人たち」です。

 興味深い調査を紹介しましょう。群馬大学の片田敏孝教授らが2006年11月の千島列島東方沖の地震後に岩手県釜石市の小学生にアンケートした結果、避難指示を聞いた後、実際に避難したのは290人中わずか7人でした。避難しない理由として、保護者が「大丈夫」「津波は来ない」「前にもあった」などと判断したのです。東日本大震災が起こったのはこのアンケートのおよそ4年後です。

 2018年7月西日本の大水害で各地が被害に合いました。特に被害が大きかった岡山では「晴れの国・岡山で大きな水害が起こるはずがないという根拠のない思い込みがあった」と証言する声が報道されました。2019年6月に九州を襲った豪雨で避難指示が出されたとき、鹿児島市の避難率は1%未満だったという指摘もあります。

 なぜ避難指示を無視するのか。これを説明するのによく使われるのが「正常性バイアス」と「同調性バイアス」です。正常性バイアスとは、自分にとって都合の悪い情報を無視することで、同調性バイアスとは、他のみんなもそうだから......、と思ってしまうことです。これら心理学用語は心理学者が語るべきかもしれませんが、私見としては「私に限ってそんな不幸が起こるはずがない=私はいつも幸せでいて当然」という気持ちが強いからこのようなバイアスが生まれるのではないかと考えています。

 新型コロナにもこういう楽観論がはびこっています。よくあるのが「中国は医療技術が低い。日本なら感染しても死ぬことはない」というものです。ひどいものになると、「アメリカ軍が中国人を殺害するために既存のコロナウイルスにHIVの遺伝子を組み入れて武漢でばらまいた」、という陰謀論もすでに登場しているようです。この陰謀論は「ウイルスは人為的につくられたもの。抗HIV薬のカレトラが新型コロナに効くから(これは事実ですでに日本でも新型コロナに使われています)感染しても心配ない」という考えにつながります。陰謀論というのは自分の考えを正当化するのに(つまり自分の"幸せ"を維持するのに)都合がいいのです。

 一方、マスクを探し求めていくつもの薬局を巡るような人たちというのは、「短期間で死亡するかもしれないそんな感染症で自分の"幸せ"を妨害されてたまるか。なんとかしてマスクで自分自身を守らなければ」という思いが強くなりすぎて、たかがマスクを高値で買い求めるという行動に走ってしまうのです。

 新型コロナでいえば、マスクはときに大切ですがマスクがなくても感染のリスクを下げることはできます。むしろマスク装着よりも予防に大切なことがいくつもあります(注3)。

 今回のこのコラムで私が言いたいのは「新型コロナをどうやって予防するか」ということではありません。言いたいのは「未知の感染症にいつ遭遇するかもしれないという事実を受け入れて理にかなったリスク対策をしよう」ということです。

 新型コロナの発端は武漢市の海鮮市場だと言われています。しかし「海鮮」と名がついているものの様々な小動物が生で売られていたそうです。SARSと同じようにコウモリ→小動物→ヒトというルートが指摘されています。さて、ここであなたも考えてみてください。ネット情報によると、この海鮮市場はいわば"観光地"のひとつであり、外国人もよく訪れていました。あなたが、例えばアジアのどこかの街を訪れ、こういった市場があったとすれば近づくことを避けるでしょうか。もしもその街に友達がいたとして、その友達に誘われたとしたら......。

 私は武漢市には行ったことがありませんが、動物の市場ということであればタイのイサーン地方(東北地方)や北部にある日本人が行かないような市場を見学したことが何度かあります。そこでは生きたヘビやネズミや、名前も分からないアライグマのような動物も売られていました。今のところ、タイではこういった動物から新種のウイルスがヒトに感染したという報告はありませんが、武漢市で生じたことがタイで起こらないとも限りません。では私は今後そういったところに近づかないかと問われれば、やはりこれまでと同様"観光"を楽しみます。動物に近づかないようにはしますが。

 MERSは感染者が大きく減少していますが消滅はしていません。潜伏期間は最長14日程度と言われています。ヒトからヒトへ容易に感染し(2015年の韓国のアウトブレイクを思い出してください)致死率は30%以上です。ではあなたは中東から入国したばかりの人を見かければ逃げ出すのでしょうか。

 重篤な感染症に感染するリスクは日常生活のなかでもゼロではないと考えるべきです。また、どこに住んでいても人生には災害や事故などのリスクもあります。つまり、生きている限り突然の不幸に見舞われる可能性はあるわけで、大切なのは「そういったことも起こり得る」ことをきちんと認識した上でリスクコントロールをすることです。「幸せ」が突然終焉を迎える可能性も覚悟しておくべきであり、それを無視することが危険なのです。そして、そのことを理解していれば「生きているだけで"幸せ"」と感じることができます。

 いつも幸せでないと気が済まない人と生きているだけで幸せと思える人、本当に"幸せ"なのはどちらでしょうか。

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注1: この「事件」については「医療プレミア」でも「日経メディカル」でも紹介しました。
注2: これも「医療プレミア」(2020年2月13日号)で取り上げました。
注3: 手洗い・うがいが何よりも重要なのは言うまでもありません。先月のミニ講演会で見てもらった「ビデオ」も参照してみてください。