はやりの病気

第199回(2020年3月) 新型コロナ、錯綜する情報

 新型コロナ(以下COVID-19)の混乱がおさまりません。科学的に間違った行動をとる人が少なくなく、いわれなき差別や諍いが生まれ、さらに医療者の発言も誤解されてもおかしくないようなものが見受けられるからです。

 一方、太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)をかかりつけ医にしている人は、不安なことがあればメールや電話で相談し、受診時に困っていることを話されて、我々の説明に納得してもらっています。「もっと早く相談すればよかった」と言われることも多々あります。

 今回はCOVID-19について世間で流布している情報を整理したいと思います。ただし、明らかなデマ(例えば、COVID-19のウイルスは「お湯」で死ぬからお湯を飲めばいい、など)は除外します。まずはマスクについて取り上げましょう。

 先日、タクシーの運転手に教えてもらって驚いたのは「いくつかの薬局ではマスク目当てに開店前から行列ができる」ということです。そもそもマスクはそれほど有用な感染予防ツールではありません。このことを指摘しているメディアも少なくないわけで(例えば、私は毎日新聞「医療プレミア」で私自身が日ごろマスクをしていないことを述べました)、にもかかわらずマスクで行列ができるというのが不思議です。マスクが入荷しないことに腹を立てた客が店員に激しく詰め寄ることもあるとか......。

 あるときこの話を谷口医院の患者さんに話すと、「仕方ないんですよ。うちの会社ではマスクがないと出勤禁止って言われてるんです」とのこと。しかもマスクは会社で支給してくれないそうです。先述のコラムでも述べたように、マスクはまったく不要というわけではなく、人が密集する場所、例えば満員電車やライブハウスでは必要となります。実は、先述の毎日新聞のコラムで、「ライブハウスは注意」と書いたのですが、皮肉なことにこれが公開された直後に大阪のライブハウスでの集団感染が発覚しました。もっとも、ライブハウスではドリンクも楽しむのが普通ですから、初めから終わりまでマスクをするのは無理でしょう。

 マスクで店員に暴言を吐いたり、マスクをしていない人を非難したりするのは直ちにやめるべきです。マスクがなくても日常生活に問題はありません。ちなみに、私はマスクを持ち歩いていますが、めったに着けることはありません。ライブハウスなどには行きませんし、電車に乗るときは混雑する時間を避けているからです。マスクを携帯している理由は自分自身が咳をしたときに「咳エチケット」として必要だからです。ですが、前回のコラムでも述べたように私は過去7年間風邪をひいていませんから、実際にはマスクの出番はほとんどありません。

 ところでCOVID-19って、本当はどれくらい"怖い"感染症なのでしょうか。これの答えはそう単純なものではありません。どうやら世間では「とても怖い」と考える人と「全然大したことがない」と考える人に二分しているそうですが、ことはそんなにクリアカットに論じることはできません。おそらく「医師によって意見が違う」と嘆く人は、マスコミに登場して"分かりやすい"ことを言う医師の言葉を聞いているからだと思います。

 医学のことを論じるのはそう簡単ではありません。ですから、例えばテレビの短い時間で正確なことを述べよ、と言われればその医師がまともであればあるほど内容は分かりにくくなるはずです。ですが、テレビの番組制作者が好むのは「分かりやすく断定的にものを言ってくれる専門家」です。しかし、専門家としてはいい加減なことや誤解を生むような発言はしたくありません。これが、一般に「医師がテレビに出ることを嫌がる最大の理由」です(注)。

 話を「COVID-19はどれくらい怖いのか」に戻します。例えば中国ではデリバリーで食事をオーダーすると、料理した人と包んだ人の体温が送られてくるそうです(ネットで写真をみつけたのですが削除されていました)。また、中国では店員と顧客のやり取りが糸電話やロープが使われています(ネットで見つけたツイッターより)。

 フランスでは外出禁止令が発動し、米国では飲食店での飲食禁止や10人以上の集会の禁止が命じられているわけですし、イタリアではミラノのある大病院では60歳以上は人工呼吸器を使ってもらえないことが大手メディアで報道されています。60歳で日ごろ健康な人であれば、COVID-19に感染し重度の肺炎に進行したとしても、一時的に人工呼吸器を用いれば回復することが充分に期待できます。「60歳以上は見殺し」が続けられるのだとしたら、例えば60歳の優良企業の社長と59歳の殺人歴のある無職の者のどちらの命を救うべきか、という議論も必ず出てきます。我々はそういうレベルにまで来ているわけです。

 一方、日本の一部の識者は今も「COVID-19はインフルエンザを少し強くした程度。過度に恐れる必要もなければ学校を休校にする必要もない」と主張しています。海外での対応と日本人のこういった意見を聞くと、同じ病原体による同じ疾患による対策とは到底思えません。では、どちらの主張が正しいのでしょうか。答えは「双方とも正しい」です。

 最近は「日本の医療は遅れている。だから富裕層は海外で治療を受ける」という人もいるようですが、日本の医療技術が他国と比べて低いわけではありません。しかも世界的には驚くほど安い費用しかかかりません。お金がないから受診できないということは(絶対とは言いませんが)ほとんどありません。また、国民の平均的な清潔度が高く、民度も高く、いざとなれば(ある程度は)利他的になることができて秩序を守ります。このような国であれば、楽観論者の言うように通常の風邪予防の対策でかなりコントロールできます。

 一方、海外(の多くの国)ではそうはいきません。日本よりもずっと移民が多く(ただし、この点については日本の移民・難民政策が厳しすぎることが問題であり、日本は"遅れて"います)、良質な医療が全員に行き渡っているわけではありません。日本ほど民意度の高い国はそう多くありません。この意見には反論が多いかもしれませんが、世界に目を向けると識字率がほぼ100%の国はそう多くないのが現実です。

 しかし、日本は鎖国しているわけではありません。日本に住む外国人も決して少なくはありませんし、現在の騒動がどれくらい続くかは分かりませんが、これだけ広がったCOVID-19が(SARSやMERSのように)急速に勢いをなくすとも思えません。日本人はたとえ自身が海外に渡航しなかったとしても、世界の住人の一員という自覚を持つべきだと思います。

 現在数字で表れている日本の感染者数が実態を反映していないことは理解しておいた方がいいでしょう。3月22日時点で日本の感染者は1,054人で世界第22位、死亡者数は36人で世界第14位です。死亡者数は事実ですが、感染者数は検査をしていないからこれだけ少ないわけで、疑いのある人すべてに検査すれば、少なくとも数万人にはなると思います。そして、ここがポイントになります。もしも日本が感染者の実数を把握できれば、死亡率は驚くほど低値になります。つまり世界各国と比較して極めて高いレベルの治療ができていることが明らかになるはずです。

 個人的にはこれを世界にアピールすべきだと思っています。日本の医療技術が高いことを自慢する必要はありませんが、公衆衛生の向上に努め検査や治療の優先順位を的確におこなえば現在日本以外の国で恐れられているほどの恐ろしい感染症ではないことは訴えていいと思います。

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注:そんなことを言っておきながら、私自身も先日NHKの取材を受けて、そのインタビューシーンが放映されました。内容は「COVID-19を疑った患者が医療機関から診察拒否されている現状」についてです。この内容なら引き受けて問題ないだろうと判断したのですが、例えば「検査の対象を広げるべきか」「COVID-19はそんなに恐ろしいのか」といったコメントを求められるとするなら「テレビで短くコメントできるほど単純な話ではありません」と言って取材を断ります。