マンスリーレポート

2020年7月 『偏差値40からの医学部再受験』は間違いだった

 私が『偏差値40からの医学部再受験』という本を上梓したのは2003年です。それなりに多くの人に読んでもらったようで、出版後の約10年間で数百通のお手紙やメールをいただきました。勤務先まで会いに来てくれた人も何名かいますし、嬉しいことに「本を読んで医学部に合格できました」というお便りもいただきました。

 当時私がこの本を通して世間に訴えたかったのは「医学部合格はそんなに難しいことではなくて、ちょっとしたことを知っていればほとんど誰にでも可能ですよ」ということです。タイトルは『偏差値40からの......』ですが、これは編集者が考えたタイトルであり、実際の私の偏差値は高校3年の12月で30台でした。その私が大した苦労もせずに医学部受験に合格できたわけですから、たいていの人に可能だと考えたのです。

 今回は、「当時は正しいと思っていたその考えが間違っていた」ということを述べたいと思います。実はこの思いは上梓した直後からあり、それが少しずつ大きくなってきています。とはいえ、『偏差値40からの......』に書いたことのすべてが間違っているわけではなく、私と同じような境遇の人にとってはかなり参考になるのではないかと今も思っています。

 では「私と同じような境遇の人」とはどのような人でしょうか。それは、1日12時間以上の勉強を1年間程度続けることができる体力と環境と貯金と、そして受験勉強開始時点で偏差値50程度の学力があることです(私は、高校時代は偏差値30代でしたが医学部の受験勉強を開始した時点では50くらいはあったと思っています)。

 『偏差値40からの......』を書いた頃の私は、まだまだ世間知らずでした。医学部入学前に4年間の社会人経験もあった私は、少しは社会というものを知っているつもりでしたが、これは今になって考えるととんでもない思い上がりです。当時の私は自分がいかに恵まれた環境にいたのかが分かっていなかったのです。

 今は、医学部受験は誰にでもできるわけではないという考えを持っています。そう思うに至ったいくつかの経験を紹介しましょう。

 まずは医学部を目指しているという20歳のある男性との出会いです。現役で医学部に合格できるほどの実力があったのにもかかわらず不合格。ある日予備校に通学する途中で交通事故に遭いました。1週間後に意識が戻り命はとりとめたものの高次機能障害が残りました。MRIなどの画像では異常所見を認めませんが、事故の前に比べると、集中できなくなり、物覚えが明らかに悪くなったと言います。少し勉強するとすぐに疲労感が強くなり横にならずにはいられないそうです。この男性が医学部に入学するのはほぼ不可能だと私は思います。仮に入学できたとしてもその後の勉強についていけないでしょう。

 次に紹介したいのはタイでの経験です。研修医1年目の頃、私はタイのエイズ施設にボランティアに行きました。当時のタイではまだ抗HIV薬がなくHIV感染は死へのモラトリウムを意味していました。その施設で何人もの患者さんと接していると「なんで自分は医師で、彼(女)らは患者なんだろう」という気持ちがでてきました。私が日本に生まれ、恵まれた家庭ではなかったとしても、大学まで卒業させてもらう援助を親から受け、その後仕事をして貯金をし、それから医学部受験を経て医師になったのに対し、彼(女)らは、境遇によっては小学校も卒業しておらず、なかには大人から性的虐待を受けてHIVに感染した人や、母子感染の子供たちもいました。私は自分が努力したから日本に生まれ医師になれたのでしょうか。

 2011年3月11日に人生が大きく変わった人は少なくありません。太融寺町谷口医院にも東日本大震災の被害に遭ったという患者さんが何人かいます。彼(女)らのなかには、家族を失い、仕事を失い、何もかもなくした状態から立ち上がっている人もいます。被災された人たちのなかには、医学部受験を諦めざるを得なくなった人もいるに違いありません。彼(女)らが被害に遭ったのは運以外の何物でもありません。決して"天罰"などではないわけです。

 他にもこういったエピソードは多数あります。今の私はこのように考えています。「人生を決めるのは99%の運と1%の努力」だと。エジソンの名言に「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」というものがあります。また、日本には「運も実力のうち」という言葉があります。私はこれらの言葉に賛成しません。

 エジソンが大変な努力をしたのは事実でしょう。ですが、もしもエジソンが母親から理解されず、自宅で勉強や実験ができる環境が与えられなかったとしたらまったく別の人生を強いられたに違いありません。私がタイのエイズ施設で出会ったHIV陽性のある少年は、幼い頃から複数の(男性の)大人たちからレイプをされ続け、自身の性が女性なのか男性なのかもわかっていませんでした。この青年は小学校にもいかせてもらえず文字も充分に読めません。

 「運も実力のうち」という人は、努力を続けていれば幸運がそのうち巡ってくるというようなことを言います。しかし、努力を続けていても、突然交通事故に遭ったり、震災の被害にあったりする人もいるわけです。「運」は「運」であり、実力や努力で変えられるものではないのです。
 
 自分の夢がかなえられた人はそれだけで幸運です。だから少々努力して医学部に入学できて医師になったとしてもそれは必然ではなく偶然と考えるべきだというのが私の考えです。つまり、健康な身体、ある程度のお金、震災に遭わなかった、1日12時間の勉強ができる環境があった、などの幸運が偶然重なった結果なのです。タイのエイズ施設で患者さんと向き合っているなかで、私は次第に「あなたが患者で僕が医師なのは単なる偶然。今世では運によってそれぞれの役割が与えられただけ」という気持ちが強くなってきました。

 そして、この考えは帰国後にさらに強くなりました。医師と患者は対等という言葉が文脈によっては正しくないのは医師の方が圧倒的に知識と技術があるからです。ですが、それは医師が患者より上の立場であるということではなく、医師と患者はそれぞれ別の立場にいるということだけなのです。これをそれぞれの「役割」という言葉で言い切ってしまうと反感を買うかもしれませんが、次第に私は「人生とはそれぞれの役割を"演じる"こと」ではないかと思うようになってきています。

 シェイクスピアの『As you like it(お気に召すまま)』のなかに、次のセリフがあります。

All the world's a stage, and all the men and women merely players.  They have their exits and their entrances.

 これを私流に訳すと「すべての世界は舞台だ。すべての男と女は単に役者を演じているだけだ。我々には初めから出口と入口が与えられているのだ」となります。なぜ出口が入口より先に来ているのかも興味深いのですが、この言葉は人生というものを上手く表現していると思います。

 尾崎豊の『街の風景』の歌詞のなかに「人生は時を演じる舞台さ......」という箇所があります。尾崎豊がこの曲を書いたのは15歳と聞いたことがあります。15歳の時点ですでに人生の"真実"に気付いていたのでしょうか。

 日本では新型コロナに感染して差別的な扱いを受ける人が大勢います。リスクのある行動をとった結果感染した人もいますが、感染予防対策をしっかりと実践していたのにもかかわらず感染した人もいます。結局のところ、感染するかしないかの最大の要因は「運」に他なりません。

 知人がコロナに感染して自分が感染していないのは「運」、自分の住む地域に震災が来なかったのも「運」、勉強する時間と貯金があったから医学部に合格できたのも「運」、交通事故に遭っていないのも「運」、現在の私が患者さんから話を聞き診療が行えるのも「幸運が重なったから」なのです。

 ならばその幸運に感謝して、これから起こり得るすべてのことを「運」と受け入れて、与えられた舞台で自分の役割を演じていくだけです。今年はコロナのせいでタイに渡航できなくなりましたが、タイで知り合った患者さんたちのことを毎日のように思い出します。これからも彼(女)らを支援する"役割"を演じる舞台に立ち続けるつもりです。