マンスリーレポート

2020年9月 新型コロナ、楽観論に流されてはいけない

 東京、次いで大阪や沖縄を中心にこの夏流行した新型コロナウイルスのいわゆる「第2波」も終息しつつあります。そして、重症者の割合が第1波の3~4月に比べると少なくなっていることもあり「新型コロナは実はたいしたことがない」「すでに弱毒化した」といった意見を言う人たちの声が大きくなってきています。医療者のなかにも「新型コロナ軽症説」を訴える人たちが増えてきています。

 ですが、実際にはまだまだ油断は禁物です。今回は巷で流行している軽症説を紹介していきましょう。現在流布している軽症説は主に3つあります。

軽症説#1:ウイルス弱毒化説

 3~4月は死亡者が多かったし、死亡率も高かった。それに比べて第2波では死亡者も死亡率も低い。死亡率(死亡者/感染者)が低いのは検査をした人が増えたことが要因だとしても、死亡者が少ないことの説明はつかないではないか。そして、ウイルスの変異はすでに報告されている(参考:「新型コロナ 第2波で重症や死亡が少ないわけ」)。日本でこの夏流行した新型コロナウイルスは毒性が低くなった。

軽症説#2:日本人には「ファクターX」がある

 日本人は他国の人たちと異なり、重症化しない要因「ファクターX」が存在する。そのおかげで日本人に新型コロナが感染しても抗体ができるまで待つ必要もない。もっと簡単な免疫(これを「自然免疫」と呼ぶ)で充分に対処できる。

 補足しておくと、「ファクターX」というのはノーベル賞を受賞された山中伸弥先生が提唱された概念です(ちなみに私は医学部の学生時代、山中先生に薬理学を教わっていました)。このファクターXの正体はまだ分からないけれども、このおかげで日本人は軽症で済んでいるとし、その理論を構築されたのが国際医療福祉大学大学院の高橋泰教授です。高橋教授はファクターXの正体は未知としつつも、「すでに日本人の3人に1人はウイルスに触れているが大半は感染が成立しなかったか、感染しても軽症で済んだ」という自説を展開されています。

軽症説#3:日本人の多くはすでに中和抗体を持っている

 実は日本人は第1波の前、つまり1~2月に新型コロナに感染して抗体ができた。その抗体のおかげで感染しにくいし重症化もしない。

 この説を提唱されているのは、京都大学大学院医学研究科の上久保靖彦特定教授です。上久保教授によると、新型コロナウイルスには三つのタイプがあるそうです。「S型」「K型」「G型」の3つで、「S型」と「K型」は軽症ですみ、「G型」と「G型」の変異型が重症化すると言います。先に「S型」にかかり、その後「G型」にかかれば重症化し、これが欧米で死亡者が多い原因だそうです。一方、「K型」に先に感染し、その後「G型」にかかった場合は「K型」によってできた抗体が「G型」にも有効なおかげで軽症で済む。そして日本人の多くは1~2月に「K型」に感染していたというのです。

 ではこれら3つの説を解説していきましょう。まず軽症説#1は、支持する医師も多いものの根拠がありません。遺伝子が変異したからそれが弱毒化につながったというのは話が飛躍しすぎています。それを証明した実験もありません。つまりエビデンスがまったくないのです。エビデンスがないからと言って否定もできませんが、重症化している人の割合が減ったとは言え存在するわけです。この説を信じるのは危険すぎます。

 軽症説#2については、高橋先生の理論構築は充分に筋が通っていますし魅力的な仮説です。ですが、この説を実証するには「ファクターX」の正体を明らかにしなければなりません。山中先生も高橋先生もファクターXとしてBCG(結核のワクチン)を考えています。そして、高橋先生の説が登場する前からBCGがファクターXではないかと考える日本人の医師は少なくありませんでした。

 私の意見は否定的です。すでにイスラエルからBCGは新型コロナに有効でないという論文が出ています。BCGを支持する医師たちはイスラエルのBCGと日本のBCGは種類が異なるという理由を持ち出します。では他の国をみてみましょう。現在新型コロナの勢いが止まらずに感染者数世界第2位のインドもBCGが定期接種となっています。ただ、インドのBCGも日本のタイプとは異なります。ですが、アジアでは、インド、バングラディシュについで3番目に感染者数が多いフィリピンでは日本と同じタイプのBCGが使われています。BCGが当初から注目されていたのは、もともとBCGは自然免疫力を増強する効果があると考えられているからです。それは正しいのですが、だからといって新型コロナに有効とするには無理があるように私には思えます。

 軽症説#3はユニークで魅力的です。しかし、この説が正しいとすると日本人の大半は新型コロナに対する抗体を持っていなければならないことになり、抗体陽性率が極めて低い事実と相反します。これを説明するのに上久保教授は「現在おこなわれている抗体検査では精度が低くて陰性とでてしまう」と説明します。たしかに一言で抗体といってもウイルスのどの蛋白質に対する抗体なのかを明らかにしなければきちんとした議論ができません。現在の抗体検査はそこまで厳密には測定できませんから、上久保教授の説も筋が通っています。しかし上久保教授の主張する「S型」「K型」「G型」について客観的なデータがあるわけではなく仮説の域を超えません。

 上久保教授は、「免疫を維持するためにはウイルスと共に生活していかなければならない」と説き、「再度自粛すれば、かえってその機会(ウイルスと接する機会)が失われかねない。『3密』や換気など非科学的な話ばかりだ」と自説を強調されます。これは現在の日本も含めた世界の政策とまったく異なる立場です。日本人だけがすでに抗体を持っていて、自粛を全面的に中止せよ、というのは私には乱暴すぎる考えに聞こえます。

 ここで実際の新型コロナをもう一度振り返ってみましょう。まず日本でも他国に比べると人数は少ないとは言え、若者も命を奪われています。40代、50代は若者とは呼べないかもしれませんが、日ごろ健康で持病がない成人も死亡したり、重篤な後遺症を残したりしています。新型コロナとよく比較されるインフルエンザでこのようなことはあり得ません。ちなみに、私が新型コロナは最悪の事態となるかも......、と考えるようになったのは中国の30代の医師が死亡した2月です。中国では次いで20代の医師も亡くなりました。

 高い確率で後遺症を残すのもインフルエンザとは異なる点です。治癒して体内にウイルスはいないはずなのに息苦しさや倦怠感が残るという人が少なくありません。海外でも日本でも後遺症が残るのはもはや間違いないというレベルに来ています。私は5月の時点で、後遺症と思われる症状を訴える人を複数診察したことから「ポストコロナ症候群」という言葉を勝手に名付けました。そのときはまだ確定はできないと考えていましたが、もはや後遺症(=ポストコロナ症候群)が存在するのは自明です。

 まだあります。健康で若い人は無頓着になりがちですが、「無症状でも他人にうつす」という事実は世界にパラダイムシフトをもたらせました。正確に言えばまったくの無症状(asymptomatic)ではなく発症前に無症状(pre-symptomatic)ですが、pre-symptomaticの時期に他人に感染させやすいのはもはや疑いようがありません。いくら若者は軽症で済んだとしても、高齢者を死に至らしめる可能性があるのですから、マスクなしで他人と気軽に接することができないのです。

 軽症説#3の上久保説では「まったく自粛不要」ですが、#2の高橋教授は高齢者には注意が必要と言われます。そうであるなら、やはりプレコロナの時代には戻れないということになります。

 無症状でも他人に感染させ、高齢者のみならず若年者も重症化することがあり、それなりの確率で後遺症をもたらす感染症と共に生きていかねばならないのなら、我々は元の世界に戻れないと考えるべきです。楽観論に頼りたくなる気持ちは分かりますが、現実に目を背けてはいけません。