マンスリーレポート

2020年12月 「新しい世界」を受け入れよう

 大阪府では新型コロナウイルスの新規感染者が連日300人を超えていますが、間もなく減少傾向に入ると思われます。なぜそのような予想ができるかというと、増加の幅が縮小傾向に入ったからです。毎日の感染者数を何気なくみていると「今日は〇〇〇人感染したんだな」と思ってしまうかもしれませんが、これは誤りで、毎日の感染者数の発表は「1~数日前に検査を受けて陽性となった人数」で、その人たちが発症したのはその数日前で、感染したのはさらに数日前です。ということは「真の新規感染」は発表された1週間から10日程度前に起こっているはずです。

 つまり、感染者の増加幅が小さくなってきたということはそれだけで感染が落ち着いてきたことを示しているわけです。しかし、これにて一件落着......、というわけにはいきません。人々が行動を引き締めると感染者数が減るのは当然であり、また緩みだすと増加に転じます。当分の間、これを繰り返し、第4波、第5波、......、と続くことになります。

 ワクチンができるまでの辛抱だ、という声が一部にあります。ですが、ワクチンができたところで元の世界に戻ることはありません。WHOの緊急時の責任者であるMichael Ryan氏も「ワクチンがパンデミックを終わらせるわけではない」と明言したことが報道されています。

 なぜワクチンができても新型コロナの脅威が消えないのか理由を述べていきます。まず、100%有効なワクチンは少なくとも現段階では存在しません。例えば、早ければ年内にも接種開始されるといわれているファイザー社のワクチンについてみていきましょう。

 11月19日付の同社のプレスリリースでは43,000人以上を対象とした研究がおこなわれ、プラセボ(偽薬)群で162例、ワクチン群で8例の感染がそれぞれ認められ、ここから有効率は95%とされています。95%という数字が極めて高いことは間違いないのですが、よくある誤解が「ワクチンをうてばウイルスに感染しても95%の確率でウイルスを退治できる」というものです。

 有効率というのはそうではなくて「プラセボと比較したときにその薬(ワクチン)がどれくらい発症を減らすことができたか」をみる指標です。研究に参加した人数が43,000人ですから、ファイザー社のワクチンを接種した人、偽薬を接種した人を共に21,500人とすると、偽薬接種の21,500人中発症したのは162人、ワクチン接種の21,500人中に発症したのは8人ということになります。偽薬でも99%以上の人(21,500 - 162 / 21,500)は感染していないのです。一方、ワクチンを接種しても0.04%の人(8 / 21,500)は発症したのです。また、そもそもこのような研究に参加する人というのは新型コロナウイルスに多少なりとも興味がある人が多いでしょうから、それなりの感染予防をしていたはずです。有効率が高いのは間違いありませんが、全員に必ず効果があるわけではありません。

 さらに「効果持続期間」についても検討せねばなりません。人数は多くないものの再感染の報告が集まってきています。そして、今回のワクチンは「緊急性」が要求されたのだからやむを得ないとはいえ、各社のワクチンは効果持続時間を検証していません。いいワクチンが開発されたけれど効果は1年も持たない。そして安全性は100%担保されない。そのうちにウイルスが変異してワクチンが効かなくなった......、という可能性は充分にあると私はみています。ちなみに、ファイザー社の社長は、ワクチンの有効性を発表したその日に420万ポンド近くの自社株を売却したことが報道されています。

 患者さんからも知人からもメディアの取材でもよく聞かれる質問に「コロナ流行前の生活にいつになったら戻れるのですか?」とういものがあります。私の答えは「もう元には戻れない」です。このことを信じられない、あるいは信じたくないと言う人は少なくありませんが、私は元の世界は諦めるべきだと思っています。では「元の世界」とはどのような世界なのか。一言で言えば「初対面の人とも居酒屋でワイワイできる世界」です。

 「元の世界」に戻れないことがどれだけ辛いかについて、私はある程度理解しているつもりです。私が連載している毎日新聞の「医療プレミア」にも書いたのですが、「人生で大切なことの7割くらいは居酒屋で学んだ」と私は自負しています。お酒を交えて楽しいことだけでなく辛いこと悲しいことを仲間と語り合い、仲間が別の仲間をつれてきて交流が広がり、先輩たちからは人生の教訓を学び、そして仲間と議論し、ときには喧嘩にもなる、それが私の人生を振り返ったときの居酒屋の姿です。

 「人生で大切なことの7割」は大袈裟だろうと思う人もいるでしょうが、大学の仲間と、あるいは会社の同僚と居酒屋でワイワイガヤガヤと楽しい時間を過ごした思い出がない人の方が少ないでしょう。そこで生涯の親友や人生を共にするパートナーと巡り合ったという人もいるに違いありません。元のように楽しめないのはもちろん居酒屋だけではありません。ディスコやクラブも以前のような遊び方はできません。そういった場所でのパーティも従来のかたちでは開けません。今もカラオケ店は存在していますが、私はカラオケは絶滅する可能性すらあると思っています。

 ウェブ会議やミーティングが「意外に便利」であることに気付いた人も多いでしょうが、一方で「ウェブにはもう飽きた。やはり人は人の目を直接見てコミュニケーションを取るべきだ」と感じている人も多いのではないでしょうか。私は随分前からこのことを言い続けています。あまり同意してくれる人はいないのですが、私はZOOMなどでのコミュニケーションなら電話の方がはるかに意思疎通がしやすいと考えています。電話でなら微妙な息遣いやトーンの変化が察知できるからです。そもそもコミュニケーションのメインは言葉ではなくnon-verbalのはずです。

 「初対面の人とも居酒屋でワイワイできる世界」はもう戻ってきません。書物やビデオやyoutubeからは知識を得ることはできますが、non-verbalのコミュニケーションは不可能であり、他者と触れ合うことができません。

 ではそんな新しい世界の中で、我々は何を求めて、何を目標にして生きていけばいいのでしょうか。これを明らかにするには「何のために生きているのか」を考えなければなりません。そしてこの問いに簡単に答えられる人はあまりいません。ちなみに私は10代半ばから数年間、ほとんど毎日「人は何のために生きているのか」を考えていましたが答えは見つかりませんでした。

 しかし、大学生になってから少しずつその答えが分かるような気がしてきました。仲間と楽しい時間を過ごすため、愛する人を守るため、感動を伴う経験をするため、などいろんな答えに気付き、さらなる答えを求めるようになりました。会社をやめて母校の社会学部の大学院を目指していた頃、そして医学部に入りたての頃は、学問を究めて世の真実を知ることが人生の答えだと思っていました。医師になりタイのエイズ施設にボランティア目的で訪れたときは、助けを求めている人の力になることこそが答えだと思うようになりました。

 そして今、新型コロナのせいで他人と触れ合うことが容易にはできない世界となりました。そんな世界で今、私ができることは何なのか。そのひとつが今まで自分が探し求めて得ることができたかもしれない人生の「答え」を若い人に伝えることではないかと思っています。しかし「居酒屋」は簡単には使えません。ウェブで伝えるのは困難です。ではどうすればいいのか。最近の私は毎日このことついて考えています。