はやりの病気

第213回(2021年5月) 分かり始めた「ポストコロナ症候群」

 「コロナ後遺症」という言葉を聞く機会が増えてきました。新型コロナウイルス(以下、単に「コロナ」)に感染し、ウイルスは消えたのにもかかわらず様々な症状に苦しめられることを言います。私は、過去のコラム「よく分からなくなってきた「ポストコロナ症候群」」で、この"疾患"はつかみどころがなく、実に分かりにくいという話をしました。

 コロナに感染すると後遺症が出現することがあると私が確信したのは去年(2020年)の4月です。このサイトでポストコロナ症候群という言葉を用いて初めて紹介したのは、2020年8月のコラム「ポストコロナ症候群とプレコロナ症候群」ですが、日経メディカルの私の連載では「長期的視野で「ポストコロナ症候群」に備えよ!」というタイトルで2020年5月8日に公表しました。

 ポストコロナ症候群が存在することを確証していながら、なぜ次第に分かりにくくなってきたのかというと、その最大の要因は「症状が客観的に分かりにくいこと」です。通常、ある疾患の病名を確定するには「客観的な証拠」が必要です。がんなら「がん細胞が病理検査で検出された」、甲状腺機能低下症なら「甲状腺ホルモンの数値が下がっている」などです。

 ポストコロナ症候群の場合、患者さんが訴えるのが、倦怠感、頭痛、味覚障害など、測定することができないものばかりです。脱毛については明らかな例もありますが「本当にそうかな?」と疑わざるを得ないものもあります。また、抑うつ感や不眠を訴える人も少なくないのですが、以前からそういう訴えがあった人も少なくなく、コロナと関係があるのかどうかは調べようがありません。

 ポストコロナ症候群が分かりにくい理由はまだあります。コロナに感染していたのが確実なのであれば、症状があればとりあえずはポストコロナ症候群と呼んでいいわけですが、感染していたかどうかが不明な場合、診断のしようがないのです。

 理論上、抗体検査は診断の根拠になり得ますが、精度がそれほど高くないことが欠点です。最近は精度がかなり上がり、スパイク蛋白に対する抗体も調べることができるようになったのですが、抗体は長期間維持されないことが指摘されています。また、保険適用がなくこの点が隘路となります。例えば「PCRはしてないけど去年の春にコロナになったんです。その後、しんどいのが続いてて今も就職活動ができないんです」という人がいます。就職活動が上手くいかない原因をコロナのせいにしているのでは?と疑いたくなることもあります。

 ポストコロナ症候群が分かりにくい理由はまだあります。実は、私がこの疾患の存在を疑い出したときから、症状を訴える人の何割かはもともとナーバスで、精神的に脆弱な人が多かったのです。そういった人が、いったん「コロナに感染したに違いない」という思考回路に入ってしまうと、ほんのささいな症状でも後遺症だと思い込んでしまいます。そして、こういうタイプの人たちは症状が長期間続きます。

 ただ、太融寺町谷口医院に長年通院している患者さんのなかには、そのようなナーバスなタイプではないのに症状を訴える人もいます。しかし、その症状は客観的に評価しづらいものです。

 ここまでをまとめると、ポストコロナ症候群の特徴は次の3つになります。

#1 症状は頭痛、倦怠感、抑うつ感、動悸など神経に関係しているものが多く、これらは客観的に評価しにくい

#2 もともとナーバスな性格の人に多い

#3 もともとナーバスな人は後遺症が長期間続く
 
 #1について、最近興味深い論文が発表されました。医学誌「The Lancet Psychiatry」2021年5月1日号に掲載された論文「Covid-19に罹患した236,379人の6か月間の神経学的および精神医学的転帰 (6-month neurological and psychiatric outcomes in 236?379 survivors of COVID-19: a retrospective cohort study using electronic health records)」です。

 この論文では、コロナと他の疾患(インフルエンザ及び他の呼吸器疾患)で神経学的な後遺症がどれほどの差をもって起こるかが調べられています。その結果、コロナ感染者は、インフルエンザ感染者に比べて神経症状を発症する確率が44%高いことが分かりました。

 私がこの論文を読んで最初に思ったのが、「コロナでなくても、インフルエンザでも他の呼吸器感染症でも神経症状(後遺症)が起こるんだ」ということでした。今までそのようなことを意識したことがなかったからです。ですが、よく考えてみると、インフルエンザは重症化すると「インフルエンザ脳症」を起こしますし、細菌性肺炎の場合でも、特に高齢者の場合はその後脳梗塞を起こすことがしばしばあります。ということは、感染の後の後遺症はコロナに限ったことではない、ということになります。ただし、コロナの場合は他の感染症に比較して、そういった神経症状を発症する可能性が高いわけです。

 では、なぜコロナの場合は神経症状を起こしやすいのでしょう。最初私はその鍵が「血栓」にあるのではないかという仮説を立てました。コロナに感染すると体中に血栓ができて血管が詰まることはすでに明らかになっています。血栓が脳の血管に生じると脳梗塞を起こしたり、(米国の舞台俳優のように)足を切断したりといった事例が生じるわけです。ですから、コロナに感染し重症化してくるとヘパリンという血をサラサラにする薬を投与することが治療のひとつになります。

 ですが、コロナ後遺症で苦しんでいる当院の患者さんに血栓ができているとは思えません。たしかに感染してしばらくしてからはd-dimerという血栓の指標が上昇することが多いのですが、その上昇はそれほど長く続きません。ですが、症状は残るのです。血栓が何らかのきっかけになったとしても他に理由があるはずです。私の仮説は「炎症」そして「低酸素血症」です。そう考えるきっかけとなった論文を紹介しましょう。

 医学誌「Free Neuropathology」に掲載された論文「COVID-19の神経病理学:臨床病理学的最新情報 (Neuropathology of COVID-19 (neuro-COVID): clinicopathological update)」によれば、コロナで死亡し剖検された184人の脳のうち、43%にミクログリアの活性化が認められました。また、別の論文、医学誌「Brain」2021年4月15日号の「コロンビア大学でのCOVID-19神経病理学 (COVID-19 neuropathology at Columbia University Irving Medical Center/New York Presbyterian Hospital )」でも、コロナで死亡した人の解剖から脳にミクログリアの活性化が認められました。ミクログリアというのは脳内の免疫を担う細胞の1つで、炎症反応を引き起こします。つまり、コロナに感染すると脳内のミクログリアが活性化し炎症が起こることを示しているわけです。

 ただし、コロナそのものが脳内のミクログリアに直接働きかけて炎症を生じさせている証拠はありませんし、その可能性はそれほど高くないと思います。先述の「Brain」の論文によれば、おそらく低酸素血症が原因で全身性の炎症が起こり、その結果脳内のミクログリアが活性化したのではないかと推測されています。

 ということは、先に起こった症状は「肺炎」です。肺炎→酸素が取り込めない→低酸素血症→脳のミクログリアに炎症、と考えられるわけです。

 ところで、うつ病の病態が「炎症」ではないかということが最近よく言われます。全貌は分かっていないものの、うつ病患者の脳内ではミクログリアの活性化が生じていることを示した研究も相次いでいます。炎症が元々あるところに、低酸素血症が起こればさらにその炎症が悪化することは想像に難くありません。

 そして、最近の論文でコロナに感染するとかなり長期間抑うつ症状が生じることが分かりました。医学誌「JAMA」2021年3月12日号に掲載された論文「コロナの急性症状と成人のうつ症状との関連 (Association of Acute Symptoms of COVID-19 and Symptoms of Depression in Adults)」によれば、感染から4ヵ月後の時点で52%が「大うつ病」の診断基準を満たしていました。

 これですべての謎が解けたかもしれません。まず、コロナに罹患するとたとえ自覚症状が軽度であったとしても低酸素血症が起こります。呼吸苦の訴えが乏しいのにもかかわらず酸素飽和度が低下していることがコロナではよくあります。低酸素血症の結果、脳内のミクログリアが活性化し炎症が起こります。うつ病患者はもともとミクログリアの活性化が高く、低酸素血症で炎症が一気に悪化します。いったん炎症が起これば回復するのに時間がかかりますが、やがて回復すれば神経症状は消えます。ただし、うつ病があれば元々ミクログリアが活性化しているわけですから、長引くことが予想されます。

 ここまでくれば後は「対策」です。「コロナに感染した(かもしれない)ときはできるだけ早く酸素投与をおこなえば、後遺症=ポストコロナ症候群を予防できる可能性がある」となります。