マンスリーレポート

2021年9月 雨の中を走ろう(Running in the rain)

 私の古い記憶をたどると「規則正しい生活をしましょう」と初めて言われたのは、何年生だったかは忘れましたが小学校の夏休み前。要するに、夏休みに入ってもこれまでどおり早く起きなさい、夜更かしはいけません、と担任の先生は言いたかったわけです。

 一方、小学生時代の私の最大の楽しみは「朝寝坊」でした。日曜日の朝、いったん目覚まし時計に起こされても、「今日は日曜日、あと1時間は眠れる」ということに気付いて、二度寝に落ちるあの瞬間が幸せなひとときだったのです。ちなみに、小学校低学年の頃は「ムーミン」が始まる9時まで布団から出られず、パルナス提供のアニメで私の日曜日が始まりました。今でも「日曜の朝」というキーワードを耳にすると、反射的に頭のなかにパルナスのCMソングが流れてきます。

 話を進めましょう。「規則正しい生活を......」と言われても初めから従う気持ちのない私は、夏休みの間も地域社会のラジオ体操や野球やサッカーなどのイベントがなければ毎日のように朝寝坊を楽しんでいました。

 小学6年生になった頃にはラジオの深夜放送にはまりだし、布団に入ってからもイヤホンでラジオを深夜まで聞くようになりました。深夜放送を聞き出したことから、世の中には深夜にも起きている人たちが大勢いて、都会にはなにやらワクワクするエキサイティングな世界がありそうだ、ということが分かり始めました。

 中学に入ってからも深夜放送好きは変わらず、この頃の私の将来の夢は「ラジオのDJになりたい」というものでした。気の利いた話をして、リスナーからのハガキを読んでときには身の上相談に乗って、適度なタイミングで洒落た音楽を紹介する......、と、そういうスタイルのDJに憧れたのです。

 今の私は大勢の人たちから医療に関する質問メールをもらって、返信するのに毎日それなりの時間を費やしています。当院をかかりつけ医にしている患者さんだけでなく、全国から相談メールが寄せられます。医療に関係のない人生相談のようなものも届きます。考え方によっては今の私がやっていることは、中学の頃に憧れていた深夜放送のDJに似ているかもしれません。

 話を進めます。大学(医学部でなくひとつめの大学)に進んだ私は「自由」を手に入れました。規則正しい生活などつまらない人間のすることだ、と考え、ショートスリーパーであることを自負し、毎晩のように街に繰り出していました。社会人になってからも、睡眠は時間の無駄遣いと嘯き、仕事を終えた金曜の夜は、いったん帰宅しドレストアップ、とまではいかないにせよ、仕事時とはまったく異なるファッションに身を纏い街に出ました。朝まで騒ぎあかし、土曜日の夕方に目を覚まし、そして再び夜の街に......、といった生活を続けていました。

 医学部受験を決意したときからそのような生活とは縁を切って、早朝に起床して勉強するようになりましたが、医学部入学後は、勉強が中心とはいえ、規則正しい生活からはほど遠いものでした。自宅での勉強が集中モードに入ると、深夜、ときには明け方までそのまま勉強を続けていました。医師になってからは、当直業務が多くなり、生活のリズムは滅茶苦茶になり、わずか15分でも眠れる時間があれば眠るという「細切れ睡眠」の生活になりました。太融寺町谷口医院を開業してからも、最初のうちは夜間の救急病院にもアルバイトに行っていましたから、やはり細切れ睡眠を続けていました。

 しかし、そのような生活スタイルに終止符を打ち、毎日同じ時刻に起きる規則正しい生活を開始しました。その理由は2つあります。1つは、患者さんに「規則正しい生活をしましょう」と言わねばならなくなったことです。

 このサイトで何度も紹介し、当院をかかりつけ医にしている患者さんには嫌がられるほど繰り返し話をしているように、規則正しい生活をするだけで大きく改善する疾患はたくさんあります。片頭痛や不眠症がその代表ですが、高血圧や糖尿病などの生活習慣病、不安感や抑うつ感といった精神症状、月経痛や月経不順などの婦人科疾患、胃炎や過敏性腸症候群などの消化器疾患なども相当します。おそらく規則正しい生活を続けることによって、バイオリズムが安定化し、自律神経のバランスが整うのでしょう。

 規則正しい生活によって大きく改善する患者さんを診るにつれ、他の患者さんにも積極的に勧めるようになり、そうなると自分自身が実践しないわけにはいきません。ちなみに、私が禁煙に成功できたのも、患者さんに禁煙指導をするうちに「自分が喫煙するのは"詐欺"のようなものだ」と考えて禁煙に取り組んだからです。

 私が規則正しい生活を始めた理由はもう1つあります。ある時、知人のひとりが「毎日同じ時間に同じことを繰り返すのが気持ちいい」と言いだしたことです。人生は何が起こるか分からないから楽しいのではないか、初めから決まっている予定通りの人生など何が面白いのか、と考えていた私は、この人が言うこの意見を最初は理解することができませんでした。しかし、この言葉が心のどこかにひっかかっていたのか、ときおり思い出すようになっていました。

 今も私は「毎日同じ時間に同じことを繰り返すのが気持ちいい」という境地には達していません。むしろ今でも「この世にはハレとケ、日常と非日常の双方が必要だ」という考えを持っていて、「同じことを繰り返すだけのハレのない生活」ほどつまらないものはない、という気持ちがあります。

 ですが、「毎日同じ時間に同じことをするのが幸せ」と考える人は案外多いようです。最近、この幸せを世界一実感しているのではないかと思える人の記事を読みました。

 記事は英国紙「The Guardian」2021年4月16日に掲載された「私の経験~私は10年間同じ夕食を食べています(Experience: I've had the same supper for 10 years)」で、取り上げられているのはウエールズの羊飼い、72歳の男性です。ロンドンなど都会に出たことはほとんどなく、毎日71頭の羊の世話をするのが仕事、食事は10年間同じものを食べていると言います。クリスマスでも特別な食事は摂らず、昼食は洋ナシ、オレンジ、ペースト入りサンドイッチ、夕食は魚2キレ、タマネギ1個、卵、ベイクドビーンズ、ビスケット数枚だそうです。毎日同じ時間に羊にエサをやり、予定通りに買い物に行き、毎回同じものを買うと言います。男性は「自然と同じように、私は決まった生活をしている(I have a routine, just like nature.)」とコメントしています。

 私の場合、居住区から出たくないと考えるこの男性とは正反対で、旅が好きで、新たな出会いにワクワクし、旅先のハプニングも楽しもうとします。ですが、現実にはここ10年くらいは国内外どこに行っても起きる時刻は同じですし、起床後最初にするのは同じメニューの運動です。週に4回ジョギングをし、残りの3回は室内でワークアウト(筋トレ)をしています。

 過去20年で私が最も多く訪れている海外の都市はバンコクです。スクンビットの定宿を利用し、ジョギングはベンジャキティ公園を3周というのがいつものパターンです。ちなみに、以前はバンコク滞在時には様々な道を走っていて、2015年8月17日の朝6時半ごろにはラチャプラソン交差点を通りました。その約12時間後の午後7時前、その交差点で爆発テロ事件が発生し20人が死亡しました。

 4時45分に起床、最初にするのはランニングかワークアウト、という生活がいつの間にかパターンとなりもう7年になります。ランナーのなかには、雨の日はランニングを休むという人がいますが、私の場合、怪我をしているときを除けば、7年間のうち予定を変更して休んだのは台風で警報が出ていた1日だけです。帰宅後は、シャワー、出勤、だいたい同じ時間に帰宅、シャワー、読書、就寝という生活をずっと続けています。

 あれほど単調な日常生活を嫌っていた私が、いつのまにか毎日同じことを繰り返す魅力を知ってしまったのかもしれません。雨が降っても走る、と他人に話せば、そこまでしなくてもいいのでは、とたいていは呆れられます。そんなとき私は次のように答えています。

 雨が降る中いつものようにランニングをして後悔したことは一度もないんです......。