マンスリーレポート

2022年1月 他人を信頼できない日本では「絶望」するしかない

 2021年の最大の出来事は?と問われれば、ほとんどの人は一昨年(2020年)に引き続き「新型コロナウイルス」と答えるでしょう。なにしろ、この病原体のせいで、世界中のほぼすべての人が生活に何らかの制限を加えられているのですから。もちろん、我々医師にとっても「コロナのせいで......」と思わずにはいられない場面がかなり多くあります。

 ですが、2021年にはある意味でコロナ以上の事件がありました。12月17日に起こった「西梅田精神科クリニック放火事件」です。そのクリニックの患者でもあった61歳の男、谷本盛雄がガソリンでクリニックに放火し、自身も院長も含む合計26人
(1月3日現在)が死亡しました。

 私の記憶にある範囲で言えば、一度の大量殺人事件としては
京都アニメーション放火殺人事件の死者36人に次ぐ規模です。2016年に相模原で起こった障害者施設殺傷事件での死亡者は19人ですから、西梅田の事件はこれを上回ったことになります。尚、相模原の事件についても事件直後から何名もの方(患者さんよりも本サイトの読者の方)から意見を求められていましたので、いずれどこかで取り上げたいと考えています。

 さて、西梅田事件のこの犯人について、私が診察したわけではありませんから、どのような精神疾患を持っていたかなどについて精神医学的な所見を私が述べるのは適切ではありません。一部の情報では、このクリニックは発達障害を中心に診ていたために犯人の疾患も発達障害ではないか、とされていますが定かではありません。ここでは、犯人は「(疾患名はともかく)他人を巻き添えにして自殺をしたかった男性」であることを確認しておきましょう。

 この点で、殺害された女性の兄が妹のパソコンから犯人にたどりついた2017年の「座間9人殺害事件」の白石隆浩とは犯行の性質がまったく異なりますし、死刑を避けて無期懲役を求め、2018年に東海道新幹線内で1人を殺害、2人に重症を負わせた小島一郎とも異なります。先述の相模原事件の犯人である植松聖は死刑を覚悟していたものの、犯行動機は「障害者を殺すのが公益」との信念の元に実行したとされていますからやはり異なります。その場で自殺していないという意味で、2001年に8名を殺害した附属池田小学校事件の宅間守(2004年に死刑執行)、2008年に2名を殺害した土浦連続殺傷事件の金川真大(2013年に死刑執行)、2008年に7人を殺害した秋葉原通り魔事件の加藤智大(死刑が確定しているが現時点で未執行)とも異なります。2019年の京都アニメーション放火殺人事件の青葉真司は放火後逃走していることと「自分の作品をパクられた」と被害妄想的な証言をしていることから別のタイプと考えられます。

 犯人もその場で自殺したという意味で似ている事件は、2019年に2名の小児が殺害され18名が負傷した「川崎通り魔事件」の岩崎隆一、また、2015年に一人の乗客を巻き添えにして新幹線内で焼身自殺した林崎春生が該当するかもしれません。

 しかしながら、こうやって21世紀になってから起こった集団殺人事件を改めて見直してみると、白石は金銭と性欲という自己の快楽のために、植松は"公益"のために実行していますが、それ以外の犯人の動機には、(それぞれの精神疾患名は別にして)「絶望」があるように私には思えます。

 谷本、小島、宅間、金川、加藤、青葉、岩崎、林崎に共通して言えること、それは「周囲に頼れる人がいなかった」ということではないでしょうか。もちろん、私はこれらの誰一人として知り合いではありませんし、想像の根拠はすべて報道や犯人についてジャーナリストが書いた書物などに限定されます。ですから、医師でしかない私がこのような推測を述べるのは無責任であり、それは承知しています。ですが、無責任であることを認めた上で、彼らは「周囲に頼れる人がおらずそのため絶望していた」のではないかと思わずにはいられないのです。

 もちろん、周囲に頼れる人がいない人全員が事件を起こすわけではありませんし、親から勘当されても立派に生きている人がいることも知っています。ですが、父親からの絶縁(宅間、小島)、引きこもり(岩崎、金川)、孤立(加藤、林崎)といったことが報道されており、谷本も元家族から距離を置かれていたことを考えれば、やはり共通するのは「絶望」だと思うのです。

 このなかの全員がまったくの孤立無援ではなかったのも事実です。例えば、小島は報道を見る限り、祖母と母親からは(おそらく今も)愛されています。加藤も話ができる友人がいなかったわけではなさそうです。ということは、単に「犯行前に誰かひとりでも親身になって話を聞く者がいれば......」とも言えないことになります。では、もしも2人以上、あるいは3人以上の信頼できる者がいれば......、などと考えるのはナンセンスでしょう。人数の問題ではないからです。では、どのような社会であればこういった事件が起こらないようになるのでしょうか。

 2022年1月1日、日経新聞に「成長・満足度、両輪で活力 閉塞感打破、北欧にヒント」という記事が掲載されました。日経新聞が、国連やWHOなど世界の権威ある統計をもとにして、日本、米国、英国、フランス、ドイツ、デンマーク、フィンランド、スウェーデンの8国について、労働生産性、所得格差、男女平等、幸福度、他者への信頼度などを点数で表しています。この表、眺めれば眺めるほど興味深いのですが、ここで取り上げたいのは「他者への信頼度」です。

 「他者への信頼度」のトップはスウェーデンの522.2点、2位はデンマークで521.3点です。先進国平均は214.1点、米国223.0点、英国376.8点です。では、日本の点数は何点かというと、なんとマイナス62.0点なのです。「他者への信頼度」は表で示されているだけで記事の本文に説明がなく、記者のコメントもないのが残念なのですが、この数字には驚かされます。

 そもそも「他者への信頼度」がマイナスとはどういう意味なのでしょう。スウェーデンでは周囲に1000人集めると522人は信頼できて、日本では1000人集めると信頼できる人はゼロで自分を貶めようとしている人が62人もいる、という意味なのでしょうか。マイナス62.0というこの数字が間違いであってほしいと願いたいですが、日経新聞が元旦の朝刊に載せているわけですから何度も数字に誤りがないことが確認されているはずです。

 ということは、我が国においては「渡る世間は鬼ばかり」が真実ということになります。では、スウェーデンに行けば、周囲の人たちを無条件で信頼できるのでしょうか。あるいは行政が手を差し伸べてくれるのでしょうか。同国を訪れたことのない私にはそれは分かりません。ですが、私がある程度知っているいくつかの国との比較でいえば、たしかに日本ほど他人に冷たい国はありません。

 過去のコラム「マンスリーレポート2015年9月 お金に困らない生き方~4つの秘訣~(後編)」で紹介したように、タイは日本よりも遥かに格差社会、あるいは身分社会ではありますが、他人には優しくホームレスの人たちが救われているシーンもしばしば目にします。他方、日本に長年住む外国人たちからは日本人の冷たさについて聞かされたことが何度もあります。

 では日本人はこんな国をとっとと捨てて海外に新天地を求めればいいのでしょうか。私の答えは「イエス」でもあり「ノー」でもあります。「イエス」と言いたいのは、海外で楽しく過ごし「日本よりずっと幸せ」と話している日本人を何人か知っているからです。一方「ノー」とも言いたいのは、たとえ海外に出た方が幸せになれたとしても、そう簡単に日本にいる大切な人を放ってまで海外に行ける人はそんなに多くないからです。

 では、この日本に残る我々(私も含めて)はどうすればいいのでしょうか。それは、たとえ他人が信頼できなかったとしても、一人一人が草の根レベルで他人のことを慮り、他人から信頼されるように努めることです。

 犯人をかばうような発言は殺害された方のご遺族に失礼であることは承知していますが、谷本を含むこのような犯罪者を生み出したのは「他人を信頼できない」この日本社会に原因があるのではないかと思わずにはいられません。事件を起こす前に話をし、その絶望から生まれた苦しみを共に分かち合いたかった、とついつい
私は考えてしまうのです。

本文一部訂正:2022年1月31日