マンスリーレポート

2022年9月 承認欲求を抑えられない人たち

 2022年8月13日、『患者よ、がんと闘うな』で有名な近藤誠医師(以下、「近藤医師」)が他界されました。出勤途中で体調不良を訴え、搬送先の病院で死亡されたそうです。享年73歳。死因は虚血性心疾患と報道されています。

 近藤医師は医療者であれば知らない者はおらず、医療者でなくても知っている人はかなり多いでしょう。『患者よ、がん......』以外にもベストセラーとなった著作が多数あり、たしか書籍関係の賞も受賞されことがあったはずです。

 しかし、近藤医師に対する医療者からの評判は非常に悪く、実際、死亡が報道された直後の医師の掲示板を見てみると悪口のオンパレードでした。そして、患者さんのなかにも近藤医師を否定的に言う人は少なくありません。

 ただし、一部の市民(患者)からはまるで"神"のように崇められていて、都内で開業した「近藤誠がん研究所・セカンドオピニオン外来」の料金は、一律30分で3万2000円(現金のみ)だとか......。

 今回は、なぜ近藤医師が「アンチ標準医療」に走ったのか、について私見を述べてみたいと思います。結論を言えば「社会から注目される快感に抗えなかった」、つまり「強すぎる承認欲求を抑えられなかったが故に、どんどん奇を衒った"奇説"を発表していった」、となります。

 しかし、元々近藤医師はそのような医師ではありませんでした。近藤医師が一躍有名になったのは80年代後半(だったと思います)、乳がんに対する「乳房温存療法」を提唱されたときです。

 乳房温存療法とは乳がんの手術で、文字通り「乳房を残す」手術です。それまでは乳がんがみつかれば筋肉も含めたかなりの広範囲を切除するのが一般的でした。乳房温存療法を簡単に言えば、放射線照射を併用してがんを含む狭い範囲だけを切除する方法です。海外ではそれなりに普及していましたが、日本ではそうではなく、「日本でもおこなわれるようになったのは近藤医師のおかげだ」と言っても過言ではありません。

 名著『患者よ、がんと闘うな』を上梓されたのは1996年、私が医学部に入学した年です。私が医師を目指し始めたのは医学部4回生の頃で、入学当時は臨床に、つまり医療行為にほとんど興味がありませんでした。ですが、この本は同級生に勧められたこともあり読んでみました。日本の医療現場では、不要な手術、無駄な手術、さらに無意味な抗がん剤投与がたくさんおこなわれているんだ、と理解し、「近藤医師の主張は素晴らしい!」と感じました。

 ところが、医師になることを決めて臨んだ医学部5回生の実習が始まると、患者さんから直接話を聞く機会が増え、「手術や抗がん剤は不要」という考えが間違っていることに気付きました。近藤医師が指摘するように、手術がうまくいかず結果として死期が早まった事例や、抗がん剤に苦しむ人が多いのは事実です。しかし、全体でみれば「手術をしてもらって感謝している」という人の方が圧倒的に多く、また「抗がん剤のおかげでがんが小さくなったから手術ができた」というケースも多々あるのです。
 
 近藤医師の主張は月日が経つにつれ、ますますエスカレートしていきました。「すべてのがんは放置せよ」、「健診は無意味だから受けるな」、「病院に行けば殺される」、さらには「ワクチンは危険」とまで主張されるようになりました。

 ではなぜ、近藤医師は(ほとんどの)医師に嫌われることを覚悟の上で、次々と奇説を発表していったのでしょうか。医療界からはまったく「承認」されないわけですが、メディアや社会、あるいは一部の患者からは"神"のように崇められました。近藤医師からみれば、同僚よりも、メディアや世論からの「承認」の方に魅力があったのでしょう。

 では、このように同僚よりもメディア受けすることに"快感"を覚えるのは近藤医師だけかというと、どうもそうではないようです。新型コロナウイルスが流行し始めた2020年初頭、当院以外に発熱外来を実施しているところがないかを調べるため、いろんなクリニックのウェブサイトをみてみました。すると、トップページに「〇〇局の番組に出演しました」とか「△△社から取材を受けました」といったことが書かれている(しかも目立つように!)サイトがあって驚かされました。

 メディア(マスコミ)の取材を受けるのは、恥ずかしいことではありませんが、一般に医師はメディアに協力することを嫌います。その理由は「自分の主張が曲解して伝えられることがあるから」です。そもそも難しい病気の話を、短時間で(短い文章で)うまく伝えることは困難です。他方、メディアが求めるのは「分かりやすさ」です。結果、どうしても単純で分かりやすいことを言ったり書いたりすることを求められるのです。よって、まともな医師であればメディアからの取材協力依頼にはかなり慎重になります。

 2022年8月24日、稲盛和夫さんが他界されました。91歳、死因は老衰と報道されています。私は90年代から稲盛さんの大ファンで、著作は繰り返し読み、過去のコラムでも紹介したことがあります。特に「動機善なりや、私心なかりしか」は私の座右の銘のひとつです。

 実は私は過去に何度か、稲盛さんの主催する「盛和塾」に入塾することを考えたことがあります。盛和塾は経済界の人たちのものと聞いていましたから結局諦めたのですが、今思えばやはり「稲盛さんの著作から人生で大切なことをたくさん学んできました。もっと勉強させてください!」と言って飛び込めばよかったと後悔しています。ちなみに、「私心なかりしか」の「私心」を、恥ずかしながら私は「しごころ」と読んでいたのですが、あるとき盛和塾のメンバーでもあったある企業のオーナーから「それは<ししん>と読むのだ」と教えてもらったことがあります。

 話を戻しましょう。稲盛さんはDDI(現在のKDDI)を立ち上げるときに「世間に自分をよく見せたいというスタンドプレーではないか」と何度も自問されたそうです。つまり、「自分をよくみせたい(=承認欲求)」という気持ちがあるのなら「その動機は善ではない」のです。

 そういう観点から改めて近藤医師の意見を見直してみると、個別の状態や事情を考慮せず、一律に「手術、抗がん剤、健診、ワクチンのすべては無意味」とする主張は、到底患者のためのものとは思えません。奇を衒った意見の主張は、医療界以外の世間に対して「自分をよくみせたい」という低レベルの欲求のなせる技ではないでしょうか。もしも、近藤医師にまだ謙虚さが残っていれば、手術や抗がん剤、あるいはワクチンで救われた人たちからも話を傾聴し、現代医療を全否定するような発言はしなかったはずです。

 最近、楽天の三木谷浩史氏が雑誌に興味深いことを書かれていたのでここに紹介します。

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 若いアントレプレナーは往々にして、「株式上場したい」(中略)思いがひときわ強い。でも、それだけでいいのだろうか。(中略)(僕が)絶対に譲れないのは「日本を良くしたい」という純粋な思いだ。(週刊新潮2022年8月25日号)
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 おそらく三木谷氏の「日本を良くしたい」は「自分をよく見せたい」ではなく、稲盛さんの考えに通ずる「利他」の精神ではないでしょうか。

 過去のコラム「「承認されたい欲求」と「承認したくない欲求」」でも述べたように、承認されるのは自分の家族やパートナー、少数の友達だけで充分です。他者や社会に対しては「承認を求めず利他の精神をもって貢献する」ことが大切です。