はやりの病気

2022年10月 「我々はなぜ働くのか」、もうひとつの答え

 先日他界された稲盛和夫氏の著作に『働き方「なぜ働くのか」「いかに働くのか」』があります。個人的にはこの本も他の稲盛氏の著作と同様、できるだけ多くの人に勧めたいのですが、おそらく21世紀に生きる若者のなかには、こういう主張に馴染めない、あるいは反発する人も少なくないと思います。

 なにしろ、言葉だけを読めば「仕事は常に(ベストではなく)パーフェクトを目指せ」「一心不乱に寝食を惜しんで働け」「困難なことにも<できない>と言ってはいけない」などなど、昭和時代の「猛烈サラリーマン」を彷彿させるようなメッセージのオンパレードです。もしも長時間残業やパワハラの被害に遭っている人がこれを読めば、"猛烈に"反対するでしょう。

 そう思ってこの本のAmazonのレビューを見てみると、やはり私の予想通り、厳しいコメントが相次いでいました(もちろん絶賛するコメントも少なくありません)。たしかに(誰かが書いていたように)、自分の働く会社からこの本を渡されればぞっとするに違いありません。なにしろ、読み方によっては「他のすべてを犠牲にして死ぬまで働け」と言われているような気持ちになるでしょうから。

 私自身がこの本を初めて手にしたのは太融寺町谷口医院をオープンさせてからで、私の立場は「院長」ですから、経営者(というほどのものではありませんが)的な観点でも考えてしまいます。すると、この本は良書だけれど自分の立場で谷口医院の従業員に勧めるわけにはいかないなぁ、と感じたことを覚えています。

 しかしながら、それでもこの本のなかに出てくる「人間は自らの心を高めるために働く」という稲盛さんの言葉には説得力があります。特に医療機関では、「働く」ことが(職種によってある程度異なりますが)病気や怪我を患っている人や不安が強い人に対する直接的な「貢献」につながります。

 ちなみに、「ぐるなび」創設者の滝久雄氏は「自分を他者のために役立てたいという貢献心は<誰にもある本能>」と考え、「ホモコントリビューエンス研究所」を設立されています。「ホモコントリビューエンス」とは「貢献する人」という意味だそうです。

 さて、今回は私が考える「我々はなぜ働くのか」に対する私なりの「回答」を紹介したいと思います。それは「仲間をつくるため」です。「なんだ、当たり前のことじゃないか」と感じる人が多いでしょう。特に私と同世代以上であれば、多くの人が「そんなこと、言うまでもない」と思っているでしょうし、また仕事を通して「生涯の友」と呼べる友人を得たという人も大勢いるはずです。

 もちろん若い人のなかにも、「そんなの当然」と考えている人はいると思いますが、私と同世代以上のいわば「旧世代の人間」とはやはり異なると思います。旧世代の人間は、まだギリギリ「終身雇用」が当然の時代に生きていました。実際、私の1つ目の大学の同級生のなかには、入職以来30年以上同じ企業に勤務しているという人も少なくありません(ただし、その1回り上の世代に比べると、それほどの長期間勤務者は激減しているのは間違いありません)。

 いったん就職するとそこが「共同体」となり、共に働くのみならず、共に慰安旅行に参加し、会社が主催する社員とその家族が出場する運動会に参加し、半数以上が社内結婚をし、社員どうしは家族ぐるみの付き合いをするのです。それを「社畜」と非難する声がありますが、その一方、かけがえのない友情が築かれることが多いのも事実です。
 
 一方、会社が単に「お金を稼ぐ場」と考える人が多くなった21世紀の現代社会では、社員とその家族が参加する運動会の話はほとんど聞かなくなりました。慰安旅行でさえも、すでに新型コロナ流行前から激減していたと聞きます。社内恋愛は今でも(不倫も含めて)少なくないでしょうが、旧世代であれば大企業では半数以上が社内結婚だったのです。どこの企業だったか忘れましたが、私が就職活動をしている頃「〇〇社の社内結婚率は9割以上」と聞いたことがあります。

 「生涯の友は学生時代に見つけるべきで、就職後の友はしょせんライバルに過ぎない」と言う人がいます。実際にそういうこともあるのでしょうが、それでも仕事を一緒にがんばったという経験から深い友情が芽生えることもよくあります。

 太融寺町谷口医院では最近立て続けにスタッフが退職しました。退職の理由は「持病の悪化」「院内の人間関係」など様々ですが、突然辞めた職員もいたために仕事が回らなくなりました。少ない人数でまかなっている診療所でそのような複数のスタッフの突然の退職は困ります。求人を新たに出すことにしましたが、すぐにいい人が応募してくれる保証はありません。

 そこで、以前谷口医院で働いていた元スタッフに声をかけてみました。就職前に谷口医院にアルバイトに来てくれていた20代の頭脳明晰なMさんにダメ元で連絡をとってみると、偶然にも「新たな就職先が決まり、以前の会社は辞めたところ」だと言います。本当は充電期間に海外旅行をする予定だったそうなのですが、なんとそちらをキャンセルし谷口医院にアルバイトに来てくれたのです。しかも「谷口医院でのアルバイトは海外旅行よりも価値のある貴重な経験です」とまで言ってくれたのです。これほど嬉しいことがあるでしょうか。Mさんを友達と呼ぶのは変かもしれませんが、私にとってはかけがえのない恩人です。

 次に、過去に谷口医院に少しだけ働いていたAさん(名前のアルファベットがAではなく便宜上Aさんとします)が来てくれることになりました。Aさんは明るくて頼りがいのある女性なのですが、以前谷口医院に勤務していたときに、ある同僚からイジメとも呼べるような酷い対応を受けていたのです。私がそれをAさんから聞いたのは退職を決めた後でした。そのときには申し訳ない気持ちしかなかったのですが、こうして戻って来てくれることになりとても嬉しく思います。

 「女性の世界は難しい」とよく言われますが、それは谷口医院でも同様です。これまでも明らかなパワハラで辞めていった人が複数人います。そして、そういう人に限って被害に遭っていることを口にせず、最後まで笑顔を絶やさないのです。私にもっと早く言ってくれれば......、と思いますが、おそらく「告げ口」になると彼女らは考えたのでしょう。

 パワハラやイジメの加害者は、日頃から口調が強くよくしゃべるタイプもいれば、普段はほとんど何も話さない無口なタイプまで様々です。しかし共通点がひとつあります。それは加害者であることが発覚するとすぐに辞めていくことです。それならば、初めからそんなことしなければいいわけです。私にはこういう女性(だけではないかもしれませんが)の心理が理解できません。

 もうひとり、本稿執筆時点では未確定ですが、元スタッフのBさんも戻って来てくれるかもしれません。実はBさんも当時のあるスタッフからひどいパワハラの被害に遭っていたのです。Bさんのケースも、その被害報告を受けたのは退職を決意した後でした。

 ちなみに、谷口医院には過去にも、諸事情からいったん退職し、再び戻って来てくれたスタッフが何人かいます。元の職場に戻ったことがある人や退職した人を再び受け入れた経験がある人は少なくないと思いますが、いったん退職したスタッフが戻って来てくれるのは、迎え入れる側からすると格別の嬉しさがあります。昔話に花が咲き、別の職場で培った経験から一回り成長した姿を見ることができます。そして、何よりも「また一緒に患者さんに貢献しよう」という"絆"を確認することができるのです。

 稲盛さんはさほど触れられていなかったと思いますが、「なぜ働くのか」の答えのひとつは「仲間との絆を感じることができるから」だと私は信じています。