マンスリーレポート

2022年12月 誰もが簡単に直ちに幸せになれる方法

 前回は「いずれ人類は絶滅する」という、たいていの人は日頃考えることを避けている「不都合な真実」について私見を述べました。今年最後のマンスリーレポートは「明るい話」で締めくくりたいと思います。

 2022年2月の本コラム「絶望から抜け出すための方法」で、「人・本・旅」に頼ってみよう、という話をしました。「人・本・旅」は私のオリジナルではなく、現在APUの学長をされている出口治明さんの名言です。出口さんは、この3つを「人間が賢くなる方法」あるいは「人生を豊かにする方法」として紹介されています。そのコラムでは、私は「人間関係には絶望しかないのだとすれば、<本>を持って<旅>に出よう」と述べました。今回は「人」の話をします。

 生まれてこの方、出会ってきたすべての人たちが素晴らしく人間関係で苦労したことがない、という人がいたら余程おめでたい人なのか、嘘を言っています。そういう人の言葉は信用しない方がいいでしょう。どれだけ運がいい人であっても、いろんな環境に身を置くにつれて、どうしようもない人と出会うことになります。

 本サイトで繰り返し主張しているように、そもそもすべての人から好かれようと思ってはいけません。まあ、思うのは自由ですが、そんなことをすれば薄っぺらい八方美人になり下がるだけで、真の友人には恵まれません。だから、これも繰り返し述べているように、つまらない承認欲求はさっさと捨て去るべきなのです。そんなものは捨ててしまって、自分の周りのかけがえのない人たちを、自分自身に対してと同じように大切にすればいいわけです。

 では、そのようなかけがえのない人たちを大切にするには何をすればいいのでしょうか。これも過去に述べたように重要なのは「誠実」と「謙虚」ですが、今回は別のことを話したいと思います。それは「感謝」です。

 そして、「感謝」の力が偉大なのは周囲の大切な人をより大切にできるからだけではありません。それほど距離が近くない人たちをも幸せにすることができるのです。さらに「感謝」した自分自身もまた幸せになれます。

 私の個人的なエピソードを紹介しましょう。

 医学部の学生だった頃、アルバイトの関係である同年代の男性と喫茶店で話をする機会がありました。彼が何を注文したのかは覚えていないのですが、ウエイトレスがドリンクをテーブルに置いたときに、男性はそのウエイトレスの方を向いて「ありがとう」と笑顔で答えたのです。たったこれだけの話です。ですが、これだけなのですが、その光景を見ていた私はなぜか幸せな気持ちになり、その気持ちはその日喫茶店を出てその男性と別れてからも続いていたのです。

 もうひとつ例を紹介しましょう。これも私が医学部の学生の頃の話です。ある日のこと、自宅近くのコンビニでレジが混雑していました。混雑の原因はアジアからやってきたと思われる若い男性のアルバイトがもたもたして要領を得ていなかったからです。おまけに日本語もたどたどしくて、早く買い物を済ませたい客は明らかに苛立っていました。

 イライラして急いでいるという態度をみせつけていた横柄な男性が店を出て行った後、私のひとつ前に並んでいた若い女性が商品のペットボトルをレジに置きました。そして、アジア人の店員がおつりと商品を女性に渡すと、彼女は丁寧に受取り「ありがとう」と言ったのです。私は彼女の表情を見ていませんが、それまでぎこちなかった店員から笑みが漏れましたから、きっと他者を幸せにするような素敵な笑顔でお礼を言ったのでしょう。

 何気ないコンビニの一シーンかもしれませんが、それから20年以上経った今も、私の記憶のなかにはそのときの光景がはっきりと残っています。その見知らぬ女性とはその後再会することもありませんでしたが、私が抱いた彼女に対するイメージがひまわりだったことから、勝手に「ひまわり娘」と名付けて、私の頭のなかでは今も笑顔を絶やしません。当時の私が見たのは後ろ姿と横顔だけなのですが。

 この2つのエピソード以外にも誰かが誰かに感謝するシーンで心が温かくなったことが何度もあります。もちろん、自分自身が他人から感謝の言葉を述べられてもうれしく感じます。ただ、私には「医師は患者さんから感謝の言葉を期待してはいけない」という持論があり、いつの間にか私生活も含めて「感謝の言葉をもらうべきでない」というおかしな感覚が身に付いてしまっています(下記コラム参照)。

 その反対に、私自身が他者に対して感謝の言葉を伝えたいと思うことはよくあります。そして、可能な範囲でそうしているのですが、これがなかなかむつかしいのです。例えば上記1つ目のエピソードの男性の真似をして、喫茶店やレストランでウエイトレスやウエイターに「ありがとうございます」と言うように心がけているのですが、その男性のようなさわやかさがまったくない私が真似をするとなんだかぎこちなくなってしまうのです。

 そのうちに「他人に感謝することは大切だけれど簡単ではない」ことが分ってきました。だからいつも、どうやって感謝の言葉を伝えるか、どのような言葉を使ってどのタイミングでどのように言うかを考えるようにしています。そして、それがうまく伝わったとき、とりわけ、日頃は恥ずかしくてそういったことを言いにくい近い関係の人に上手に気持ちを伝えられたときはとても幸せな気持ちになります。

 ここで興味深い論文を紹介しましょう。科学誌「scientific reports」2022年7月9日号に掲載された論文「パートナーに感謝の気持ちを意識的に表明すれば、一緒にいる時間が増え、CD38の変動の影響を緩和する(Implementation intentions to express gratitude increase daily time co-present with an intimate partner, and moderate effects of variation in CD38)」です。

 研究の対象は125組のカップルです。カップルを2つのグループに分け、1つのグループには2人のうちどちらかに「パートナーに感謝を感じたときにはその気持ちをはっきりと表現する」ように指示しました。このとき、その感謝を表現する者はパートナー(感謝を表現される方)に実験の趣旨を伝えないようにしました。

 すると、対象カップルと比較して、どちらかが感謝を意識的に伝えたカップルの方は、一緒に過ごす時間が1日あたり68分も増えたのです。

 感謝したときにそれを言葉にするだけでパートナーと一緒に過ごす時間が68分も増えるのです。「感謝」の効果は凄まじいと言っていいのではないでしょうか。せっかく人間はこんなに素晴らしい感謝の言葉を生み出したのにもかかわらず、使わないのはもったいなさすぎます。

 ここからは論文に書いていない私の個人的意見です。実験では被験者に対して「感謝を"感じれば"言葉で伝えるように」と指示されていました。被験者はこのミッションを聞いて「感謝できるタイミングに注意しよう」と思ったはずです。つまり、少しでも感謝できることがないかを常に考えていたはずです。その結果、パートナーと一緒に過ごす時間が増えて平和で幸せな時間を過ごせたわけです。

 これを応用しない手はありません。つまり、すべての人間関係において、感謝の気持ちが芽生える瞬間を感知するセンサーの感度を上げておくのです。上述したように、感謝の言葉を述べるのはときに気恥ずかしくて照れ臭くて、タイミングを外せば場が白けてしまうというリスクもあります。ですが、この「感謝センサー」の感度を上げておくことで、人生が充実したものになることを私は確信しているのです。

参考:日経メディカル 谷口恭の「梅田のGPがどうしても伝えたいこと」2019年4月5日
「医師は感謝を期待してはいけない」