マンスリーレポート

2023年4月 「幸せはお金で買える」という衝撃の結末

 2017年4月のマンスリーレポート「なぜ「幸せ」はこんなにも分かりにくいのか」で、「年収が75,000ドル(約900万円)を超えると、それ以上収入が増えても幸福感は増えない」という説を紹介しました。

 これは科学誌『PNAS』に2010年に掲載された、ノーベル経済学賞受賞者ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman)の論文「高収入で人生の評価が改善しても感情的な幸福は改善しない(High income improves evaluation of life but not emotional well-being)」に書かれていることです。ノーベル経済学賞受賞者が「幸せはお金で買えない」と言ったわけですから、この説には説得力があります。

 そのときのコラムで私は「タイの酔っ払いと日本のビジネスマン」の逸話を紹介し、金儲けにどれだけの意味があるのか、について問題提起をしました。

 今から2年前の2021年4月のマンスリーレポート「幸せに必要なのはお金、それとも愛?」では、カーネマンの説を真っ向から否定した『PNAS』の論文を紹介しました。この論文の著者はマシュー・キリングスワース(Matthew A. Killingsworth)。論文のタイトルは「年収75,000ドルを超えたとしても幸せは収入に連れて上昇する (Experienced well-being rises with income, even above $75,000 per year)」。タイトルから分かるように、明らかにカーネマンの「75,000ドル限界説」に対抗しています。

 この論文では、あまりにもクリアカットにカーネマン説を否定しているのが出来過ぎているように(私には)見えること、谷口医院の患者さんを観察して気付いたことは「幸せの最優先事項はお金ではなく仲の良いパートナーの有無だ」という私見を述べました。

 カーネマンの「収入75,000ドル限界説」、キリングスワースの「幸せ収入限界なし説」のどちらが正しいのか。そのコラムを書いた2年前には、私はカーネマンを支持していました。2つのコラムで取り上げた、タイの酔っ払いの話、谷口医院の患者さんのエピソードなどから、「(貧乏はよくないとしても)収入の大きさで幸せかどうかが決まるわけではない」と確信しているからです。

 ところが、です。カーネマン対キリングスワースのこの対決、最近、あっさりと決着がつきました。その結果は、キリングスワースに軍配が上がりました。つまり、「人はお金があればあるほど幸せになる」という結論になったのです。

 その結論を導いた論文を掲載したのはやはり科学誌『PNAS』。2023年3月1日号に掲載された論文のタイトルは「収入と精神的幸福: 対立が解決(Income and emotional well-being: A conflict resolved)」です。

 この論文の著者は、驚くべきことに、なんとカーネマンとキリングスワース。つまり敵対する二人が共同研究をして論文を発表したのです。論文のなかで、この研究は「adversarial collaboration(敵対的協力)」と呼ばれています。つまり、まったく正反対の意見を持つ二人が協力して同じ課題に取り組んだ研究ということです。

 そして、その結果が「お金はあればあるほど幸せになり、(75,000ドルなどの)限界はない」とするものでした。つまり、カーネマンの完全なる敗北です。論文では敗北という言葉が使われているわけではありませんが、カーネマンは自分自身の説を取り下げて、キリングスワースが以前から主張している「幸せ収入限界なし説」を支持したわけです。

 この研究を少し詳しく紹介しましょう。まず、研究の対象者は米国在住の18~65歳の就労者33,391人です。「幸福度」は、1日3回、数週間にわたり、スマートフォンによる報告で計測されました。「今、どんな気持ちですか?」という質問に対し、「非常に悪い」から「非常に良い」までの範囲で回答します。

 その結果、論文のグラフBを見ればあきらかなように、年収と幸福度(Experienced Well-Being)はほぼ正比例の関係となりました(私にはちょっとできすぎた結果のようにみえます......)。このグラフが正しいなら、人(米国人)は年収75,000ドルどころか、少なくとも50万ドル(約6千万円)までは収入が多ければ多いほど幸せと感じる、ということになります。尚、50万ドル以上の年収の対象者は少なすぎて解析できなかったようです(そりゃそうでしょ)。

 この研究ではもうひとつの特徴が示されています。それは、「対象者の約2割は年収10万ドルを超えるとそれ以上幸福度が上がらない」ということです。論文ではこの2割の人たちが「不幸な少数派(unhappy minority)」と呼ばれています。論文のFig.2が示しています。著者らによると、この2割の人たちは収入が増えても気分が改善しない否定的な「悲惨な経験」があるそうで、その経験とは、失恋、死別、うつ病など、とのことです......。

 ノーベル賞受賞者らが執筆したこの論文、学術的な価値はあるのでしょうが、ちょっと強引ではないでしょうか。この論文が正しいとすれば、年収が増えても幸福度が上がらない人は、全員が「不幸な少数派」の烙印を押されることになります。例えば、「お金はほどほどには必要だけれど愛情の方が大切」とか「年収は平均を少し超えるくらいだけれどやりがいのある仕事をしているから幸せ」と考えている人たちの存在がないものとされています。

 この論文の結論を一言でまとめれば「お金はあればあるほど幸せ。そうでないと考える人は皆、不幸な者たちで、失恋から立ち直れなかったりうつ病を患っていたりする」と言っているわけです。

 提唱者であるカーネマン自らが否定したことになりますから「幸福は年収75,000ドル限界説」は、この論文が発表された2023年3月1日をもって消失したと考えなければなりません。

 こここからは私見を述べます。75,000ドルが妥当かどうかは別にして、私自身はカーネマンとキリングスワースのこの研究の結論を肯定しません。そもそも、この結論、経済学の原理に反しないでしょうか。私は経済学にはまったく詳しくありませんが(関西学院大学時代、「経済学」の単位を落としたほどです......)、収入と満足度はいわゆる「diminishing marginal utility(限界効用逓減)」で説明すべきものではなかったでしょうか。これは、「最初の頃は満足度が上がる(効果があがる)けれど、そのうちにありがたみがなくなって最初ほどの満足度(効果)が得られなくなる」とする現象で、グラフでいえば、最初は急激な傾きで、そのうちにその傾きがなだらかになっていきます。

 谷口医院を閉院せざるを得なくなり、私自身の今後の身の振り方は依然未定ですが、幸いなことに(と言っていいのかどうかわかりませんが)、いくつかの病院から「うちで働きませんか?」というオファーをいただきました。年収は谷口医院で働くよりもアップしそうなオファーです。一般に開業医は勤務医より高収入と思われていますが、私自身は谷口医院でそんなにもらっていませんでした。しかし、大切なのはお金ではないのです。

 もちろん、例えば「やりがいのある年収200万円の仕事と、いやなこともある年収1千万円の仕事」なら後者をとるでしょう。ですが、ある程度の収入が得られるなら(例えば日本人の平均くらいの収入があるなら)、私ならやりたい仕事を選びます。

 私が医師6年目(正確には5年目の終わり)という早い段階で開業したのは、勤務医ではできないことをやりたかったからです。大学で総合診療部の外来をしていた頃もやりがいがなかったわけではありませんでした。しかし、大学病院ですから、診断がついて解決すればそれで患者さんとの関係を終わりにしなければなりません。「困ったことがあればいつでも相談してください」ではなく、「次からは何かあれば近所の診療所を受診してください」と言わねばならなかったのです。ですが、その頃にはすでに「診てもらえるところがない」と悩んでいる患者さんの存在を私はたくさん知っていました。「いつでも誰でもどんなことでも受診できる診療所がないのなら自分でつくるしかない」と考えて開業に踏み切ったのです。

 それを16年以上やってこられた自分は幸せだったと思います。閉院は避けられませんが、今診ている患者さんたちを見捨てることが私にはどうしてもできません......。