マンスリーレポート

2023年6月 医師は"幸せ"になれない

 過去2回にわたり「幸せ」について論じてきました。太融寺町谷口医院は土壇場で新天地で新たな「谷口医院」に生まれ変わることが決まりましたが、太融寺町を離れるわけですから「太融寺町谷口医院」は6月30日をもって「閉院」となります。ということは、太融寺町谷口医院からお届けするマンスリーレポートは今回が「最終回」ということになります。その最終回は「幸せ」のとりあえずの完結編とします。その完結編では「医師は幸せか」を取り上げてみたいと思います。

 過去のコラム「なぜ「幸せ」はこんなにも分かりにくいのか」の結語として、私は次のように述べました。

「私にとって「幸せ」とは何か。いまのところ自分ではまったく分かっていないようです...」

 他方、私が発行するメルマガで、次のように述べたことがあります。

「医師としての仕事が好きならばこれほど幸せな人生はない。なにしろ贅沢なものにお金を使おうという気にすらならないのだから......」

 このコメントは「医師は儲かるか」という読者からの質問に私が答えたものです。医師は比較的高収入だが、お金を使うことよりも仕事に没頭できるので医師は幸せだ、としたのです。

 では医師の仕事はそんなに幸せ、つまり楽しくて仕方がないのでしょうか。

 結論から言えば「楽しくて仕方がない」などということはまったくありません。はっきり言うとその正反対です。この仕事はそれなりの"覚悟"がないと初めからやらない方がいいと断言できます。つまり、将来のビジョンを考えるときに安易に医学部を選択すべきでないのです。

 医師になるということは、患者の苦しみを聞き続ける、ということに他なりません。その苦しみというのは、ときに家族や友達にも言えないことです。医師ならば理解してくれるだろう、と期待するからこそ患者は本音を語るのです。

 その本音の苦しみを聞いた医師はそれを受け止めなければなりません。突然のがんの宣告、交通事故に巻き込まれ脊髄損傷、軽い気持ちで受診したのに難病を告知された、といったことが医療機関では日常茶飯事です。患者さんの側からみればその病気や怪我で人生が大きく変わってしまうわけです。なかにはその病気や怪我を受け止められない人もいます。

 過重労働や仕事のストレスがある患者さんに対して、私は医師として「オン・オフを切り替えましょう」と助言することがあります。ですが、医師の仕事をしている限り、オン・オフの切り替えなどできません。患者さんの苦しみを忘れることはできないわけです。

 医学部の学生の頃、先生たちから何度か「患者の立場になれ」と言われたことがあります。けれども、そんなこと言われなくたって、患者さんから話を聞けばその辛さや悲しみは自然に伝わってきます。

 医師になってしばらくして私が自分自身に誓ったことは「患者さんを不幸だと思ったり憐れんだりしてはいけない」ということです。このような考えをもってしまうと、上から目線になってしまうからです。患者さんの多くは、病気を宣告されたときは動転したとしても、やがて現実を受け入れていきます。この姿には、私は患者さんに敬意を抱くことがしばしばあります。客観的には不幸にみえたとしても患者さんがそれを受け入れている以上、我々治療者がその境遇を憐れむのは失礼です。

 一方、患者さんがその疾患と現実を受け入れられないこともしばしばあります。例えば、がんやHIVを告知されたとき、それが晴天の霹靂であったような場合なら、ほとんどの人はすぐには受け入れられません。「どうして自分(だけ)が......」という気持ちになるのです。このようなときも、我々医療者は患者を憐れんではいけません。私は医師と患者は"完全に"対等であるべきだとは思っていませんが、医師が患者を不幸だと思ったり、憐れんだりする資格はないのです。

 しかしながら、患者が病気自体を受け入れたとしても苦しみや悲しみが消えるわけではありません。いえ、実際苦しいのです。悲しくて辛いのです。その苦しさは完全には理解できないのだとしても、医師は可能な限り理解すべきだと私は思っています。

 四六時中考え続けるわけにはいきませんが、忘れることはできません。私は医師になってから患者さんの夢を見ない日はほとんどないと言っていいかもしれません。広範囲の熱傷、転落事故、関節リウマチ、潰瘍性大腸炎、HIV感染、脊髄損傷、多発性硬化症、悪性リンパ腫、抗NMDA受容体抗体脳炎......、こうして目を閉じると、これらの患者さんの顔が次々と脳裏をよぎります。

 階上ボクシングジムの振動のせいでいつ針刺し事故が起こるかもしれない状況となりました。この状態で診療をを続けるわけにはいかず「閉院」を決めました。もちろん、それまでにさんざん移転先を探したのですが、主に「コロナを診る医療機関はお断り」という理由で入居できるビルが見つかりませんでした。

 ならば何もかも終わらせるしかない。そう考えて私はいったんは閉院を決め、そして海外に出る計画を立てました。様々な国が候補に挙がりましたが、最終的にはタイに居住する計画を立て始めました。タイの田舎に住んで、タイ全土のエイズ施設や障がい者の施設でボランティアをするつもりでいました。「閉院」を正式に発表したのが1月4日。以降しばらくは毎日患者さんに「すみません。閉院します」と頭を下げる日々でした。

 ところが、「それは困ります」という声があまりにも多く、診察室で泣き出す人が後を絶ちませんでした。私からみれば「2年間移転先を探し続けたけどなかったんだから理解してください」という気持ちでしたが、「もう一度探してください」という声が多く、なかには休日に街を歩いて空き物件を探しに行ってくれた人もいました。不動産会社で働いている人や不動産業を営んでいる患者さんたちは、自社で扱っている物件を持ってきてくれました。

 私が幸運だったのは、新型コロナウイルスの勢いが衰え、不動産業界がコロナを診る医療機関を門前払いしなくなってきたことでした。そして、最終的には、不動産会社の社長を務める患者さんが探してきてくれた物件で新しいクリニックをオープンできることが決まったのです。こんな私は幸せか不幸せか。当然"幸せ"です。

 では医師は「幸せ」か。患者の苦しみや悲しみ、あるいは患者の家族やパートナーの苦しさも共有するのが医師です。24時間そういった苦しさを噛みしめているわけではないにせよ、その苦しみを完全に忘れることなどできるはずがありません。そして、その苦しみは患者を診れば診るほど積み重なっていくわけです。

 医師になって確信したことがあります。生きるとは楽しいことよりも辛いことの方がはるかにたくさんあるということです。そして、人々が感じる楽しさではなく苦しさを共有していくのが医師の使命なのです。こんな宿命を背負っている医師という職業、あなたには幸せにうつりますか。それとも不幸せに見えるでしょうか......。