はやりの病気

第246回(2024年2月) 我々は飲酒を完全にやめるべきなのか

 少し前まで「健康に良い」とされていたものが、ある日突然"悪者"になることがあります。典型的なのは薬やワクチンで、突然副作用がクローズアップされて使われなくなることがあります。コロナワクチンは依然公衆衛生学的には優れたものですが、個人レベルでみたときには取返しのつかない副作用が起こることがあり、それが知れ渡ると一気に"人気"がなくなりました。

 現在、アルコール飲料(以下、単に「アルコール」)が悪者に成り下がろうとしています。言葉の起源はよく分からず誰が言い出したのかはっきりしませんが、つい最近まで「酒は百薬の長」という言葉すら使われていました(今も未練がましく言う人がいます)。しかし、今の時代にこんなことを言えば「時代に取り残された人」というレッテルを貼られかねません。

 アルコールが優れているとする科学的なデータがある(あった)のは事実です。日本の研究で有名なのは2005年に医学誌「British Journal of Cancer」に発表された「がんになるリスクに対する飲酒の影響:日本における大規模集団研究のデータから(Impact of alcohol drinking on total cancer risk: data from a large-scale population-based cohort study in Japan)」です。結論は「男性では『時々飲む人』(occasional drinkers)のがんの発生率が最も低い」です。「時々飲む人」ががんになるリスクを1.00とすればまったく飲まない人のリスクは1.10。つまり、「まったく飲まない人はときどき飲む人に比べて発がんリスクが1割高い」のです。ビール酒造組合も参考文献としてこの論文を挙げています。

 酒好きでかつインテリの人はよくこういう研究を話題にするわけですが、実はこの論文、よく読めばさほどアルコールを絶賛していないことがわかります。まず、女性には飲酒でがんのリスクが下がるとは一切書かれていません。また「時々飲む」の定義は「毎日少量飲む」でも「休肝日をつくる」でもなく「定期的に飲まず宴会などで機会があれば少量飲む」という意味です。改めてよく読んでみると「時々飲む」人のがんのリスクを1.00とすれば、週に350mLの缶ビールを1~10本飲む人(つまり1日1~2本飲む人)のリスクは1.18と18%上昇しているのです。論文の「時々飲む」がどれだけ少量かを認識しなければなりません。

 現在世界的には「飲酒は一切しないのが理想」という考えがすでに主流となっています。そのような研究は2010年代に入ってから相次いでいたのですが、大きく舵が切られたのは2023年1月4日、世界保健機関(WHO)が発表した「我々の健康に安全なレベルのアルコール消費はない(No level of alcohol consumption is safe for our health)」という声明です。WHOがはっきりと「アルコールはわずかでも健康を害する」と主張したのです。

 このWHOの声明をいち早く取り入れて国の方針にしたのがカナダです。カナダは国のガイドラインにこの考えを取り込み、アルコールの有害性を国民に強調しました。大麻が完全合法のカナダが「アルコールはわずかでも危険だ」と発表していることは興味深いと言えるでしょう。

 「酒は百薬の長」などという言葉が、いかに時代錯誤かが分かるでしょう。我々は世界の見解を謙虚に受け止め、アルコールはわずかでも有害であることを認めなければなりません。

 では、アルコールが有害であることを認めるとして、長所はまったくないのでしょうか。そんなことはありません。リラックス効果があるのは間違いありませんし(ただし個人差が大きい)、アルコールのおかげで人間関係が構築できた、あるいは関係性がより強固になった、ということはいくらでもあるわけです。ということは、「有害性を自覚しながら各自が飲酒量をコントロールしていく」ことが重要となります。

 アルコールについて考えたとき「生涯飲酒をしない」と選択する人もこれからはどんどん増えるでしょう。特にまだ酒を口にしたことがない未成年の人たちのいくらかは生涯飲酒をすることはないのではないか、と私は予想しています。「送別会などどうしても参加しなければならない席で乾杯だけ付き合う」という選択肢も出てくるでしょう。

 他方、「飲酒をやめたいけれどやめられない」あるいは「減らしたいけれど飲み始めると理性が効かなくなる」という人はどうすればいいのでしょうか。その場合「断酒」または「節酒」を考えることになります。

 アルコール依存症の診断がついている人には以前は「断酒しか選択肢がない」と言われていました。実際、長期間やめていても1滴のアルコールが引き金となり再び依存症に......、というケースは実によくあります。ですから「依存症には断酒しかない」とされ、今でもその考えは根強くあります。

 しかし、その一方で依存症には断酒が最適だとしても断酒に踏み切れない人や、あるいは依存症とまでは呼べないけれどもう少し飲酒量を減らすべき人には「節酒」が推薦されるようになってきました。この理由はいくつかありますが「断酒しなくても、一定の割合の人は上手に節酒できるから」もそのひとつです。実は、これはあまり指摘されませんが、私が診てきた患者さんでも、アルコールのみならず、大麻はもちろん、覚醒剤でさえも上手に付き合っている人がいます。ただし(特に覚醒剤については)そのようなことを言うと「自分もそっち側だ」と都合よく解釈する人がほとんどですから「やめたくてもやめられなくなり人生が崩壊していくリスク」を私自身も強調するようにしています。実際、私の経験でいえば(少なくとも覚醒剤については)そのように崩壊していく人の方がずっと多いのです。

 アルコールに話を戻しましょう。最近、「断酒は古い。これからは節酒だ」と言われるようになった理由のひとつは、セリンクロ(一般名「ナルメフェン」)という薬が登場したことです。この薬は従来の抗酒薬と呼ばれるノックビン(ジスルフィラム)、シアナマイド(シアナミド)、あるいはレグテクト(アカンプロサート)のように「断酒」が内服の条件ではなく、飲酒することを前提としています。通常、飲酒する1~2時間前に1錠(または2錠)飲みます。すると、アルコールによる快楽が減少し、結果として飲み過ぎを防いでくれるのです。

 ということは、「飲酒量を減らしたい。だから家では飲まないようにしている。だけど、飲みにいくとついつい場の雰囲気に負けて飲んでしまうんだよなぁ。つがれた酒はあけなければならないと教えてくれたのは誰だっけ......」などという人には最適な薬です。なにしろ、飲酒しない日には飲む必要がなく、友人知人と飲酒をする日にのみ飲み会が始まる少し前に飲んでおけば効果が期待できるのですから。

 ところで、依存症はどの医師が診るのかというと、一応は精神科医ということになっています。しかし、当院では2007年の開院以来大勢の依存症の患者さんをいろんな精神科に紹介してきましたが、たいていは結局診てもらえずに帰されています。精神科を受診してもらっても門前払いされているケースが大半なのです。特に覚醒剤依存症についてはほとんど診てもらえた試しがありません。摂食障害ですらも(摂食障害も広義には依存症だと私は考えています)精神科クリニックから断られることがしばしばあります。

 そういう事情もあって、覚醒剤のみならず、咳止め/風邪薬、ベンゾジアゼピン(これはそもそも精神科で処方された薬が原因です)、大麻なども結局当院で診ることになるケースが以前からあり、次第に増えてきているのです。

 アルコールについては「節酒」を選択した場合、超音波検査で肝臓の状態をチェックし、血液検査の値や各種がんのリスクも考えながら、セリンクロを生活のなかに上手に取り入れてもらっています。