開業8年目に向けて(2014年1月)

開業8年目に向けて(2014年1月)

大阪市北区という都心部でこのクリニックを開始したのは2007年1月です。もう7年が過ぎ去ったことになります。

クリニックの問題点などについては、毎朝の会議や、月に3回開催している定例会議、そして毎年新年の初日におこなっている年に一度の会議のときなどにスタッフ全員で話し合っています。

私自身もその日の診療に問題がなかったかを毎日省みていますし、毎年年始にはひとりになる時間をつくり、クリニックの、そして自分自身のミッションの再検討をおこなっています。2014年の年が明けた今、改めてこれまでの歴史を振り返り、今後の課題を考えてみました。

都心部でプライマリ・ケアのクリニックをつくらなければならない、と私が考えた理由は主に2つです。

ひとつは、「身体の心配が複数あるんだけど、いくつもの科を受診する時間がない」、「自分のこの症状はどこの科に行っていいかわからない」、という彷徨える人たちの力になりたいという思いです。特に働く人たちにとっては医療機関を受診する時間をつくるのが大変です。そこで都心部で比較的夜遅くまで開いていて、何でも相談できるクリニックをつくらなければならないと考えたのです。

もうひとつの理由は「どんな人も平等に診なければならない」というものです。私はタイで、病院で受診拒否されたというHIVの患者さんを何人もみてきました。そしてこのような事態は日本でも珍しくないということを日本のHIV陽性の人たちからも繰り返し聞いていました。

医療機関で事実上の診療拒否をされたという人はHIV陽性者だけではありません。外国人だからという理由で、同性愛者だからという理由で、現在は立ち直っているのにもかかわらず過去に犯罪歴があるという理由で、診療をないがしろにされたという話は枚挙に暇がありません。あるいは、思い切って家族にも言えないような秘密のことを話したとたんに医師の態度が豹変し、それ以降話を聞いてもらえなかったという患者さんの声も聞いていました。

これらふたつの理由から、私は「どのような人がどのような悩みでも相談できるクリニックを立ち上げたい」と考えるに至ったのです。しかしことは簡単ではありませんでした。

クリニックをオープンさせると言ってもお金がありませんし、場所もありません。ようやくいい物件を大阪市西区に見つけ、仮契約書まで交わしていたのですが、最後の最後で、同じビルに入っていたクリニックの反対で借りられなくなってしまいました。

最終的に現在の大阪市北区太融寺町に物件が見つかり、それはよかったのですが、次に考えなければならないのはクリニックの運営費用です。幸いなことに、他の業種と異なり、クリニックであれば金融機関は簡単にお金を貸してくれます。しかし当然のことながら返済していかなければなりません。そこで私はクリニックが休診の木・日・祝や深夜に別のクリニックや病院にアルバイトに行き、自分自身の生活費と金融機関への返済金を捻出することにしました。

問題はまだあります。どのような人でも受診できる、はいいとしても、本当に、どのような悩み、つまりどのような疾患にも対応できるのか、ということです。私はクリニックをオープンさせるまでは、大学の総合診療部に籍を置き、大学病院だけでなく、複数の病院やクリニックに研修に行かせてもらうという方法で、内科のみならず、皮膚科、アレルギー科、婦人科、小児科、整形外科、形成外科、性病科などのトレーニングを受けていました。

しかし、それでどんな疾患にも対応できるのか、と問われれば「できる」とは断言できません。そこで私はクリニックをオープンさせた後も、診断がつかない症例や治療が上手くいかない症例については他の先生たちに相談させてもらい、あるいはそういった先生たちに患者さんを紹介させてもらったりしました。そしてこの方法は現在も続けています。太融寺町谷口医院が「どのような悩みでもお話ください」という診療方針を維持できるのは、私に助言や指導をしてくださる多くの先生の存在があるからなのです。

紹介させてもらった場合は、診断が無事についた後や治療が開始された後にまた戻ってきてもらってプライマリ・ケアは当院で診させてもらって、というかたちをとっています。例えば、ガンがみつかりその治療は大きな病院で受けてもらって、高血圧や不眠、風邪などは当院に来てもらうという感じです。HIVの場合は、抗HIV薬についてはエイズ拠点病院で処方してもらい、喘息や皮膚疾患、あるいはうつや不安症などの精神症状は当院に来てもらっています。

ではこれからもどのような疾患も診ていくのかと言えば、現実的にはむつかしいものもありますし、治療に関しては中止せざるを得なかったものもあります。

最も早くに中止したのは電話相談です。私はクリニックがオープンした当初はクリニックに泊まり込み、他の医療機関に勤務に行くときを除けば診察終了後から翌朝まで電話を取っていました。医師は24時間365日患者さんからの電話に対応しなければならない、という考えがありますからこれを守ろうとしたのです。しかし、当院にかかったことのない人も含めてホームページを見たという全国の人から夜間にもひっきりなしに電話がかかってくるようになり、いつのまにか「深夜の悩み相談室」になってしまいました。悩んでいる患者さんのなかにはわらにもすがる思いで電話をされる人もいるのですが、現実的に対応できないと考え、原則として私自身が電話を取るのは診察日の朝7時から9時とし、当院に一度もかかったことのない人の場合はメールのみで受け付けるというかたちにしました。

次に中止したのはカウンセリングです。2008年の前半頃までは、昼休みに一人当たり1時間の予約枠をとってカウンセリングをしていたのですが、やめざるを得なくなりました。当院には実に様々な患者さんが来られますから、午前に受診した人を振り返ってカルテを記載していくと昼休みなど一瞬で過ぎ去るのです。とてもカウンセリングに時間が取れないと判断して、現在は必要な患者さんに対しては精神科のクリニックなどを紹介させてもらっています。

手術も2008年の中頃から中止することにしました。手術といっても元々大きなものではなく、当院で実施していたのは皮膚や皮下のできものをとったり、巻爪の矯正をしたりするような短時間でできる手術です。これも昼休みに実施していたのですが、やはり時間の確保が困難なことから中止するに至りました。

本当はもっと積極的に取り組みたいのだけれどできていないこともたくさんあります。例えば、労働衛生コンサルタントの仕事ができていません。当院の患者さんをみていると職場や労働環境が原因で心身を損ねていることが少なくありません。過重労働や職場の人間関係からきている疲労感や抑うつ感がよく指摘されますが、それら以外にも喘息症状や長引く咳、肌荒れやかぶれ、衛生管理が不十分なことで発生した感染症といったものもあります。しかし、これらは勤務先が非人道的であるから問題が発生しているのではなく、職場側としても従業員のためにどのようにすべきか分からないという例が多いのです。

私は現在産業医として小規模企業の従業員の面談などはしていますが、こういった問題により適切に取り組むには労働衛生コンサルタントとしての方がいいと考えるようになり資格を取得しました。従業員に対しても、事業所に対しても然るべき助言をしていきたいと考えたのです。当初の計画では遅くとも2013年のうちにきちんとしたかたちを整えて月に一度でも活動をしたいと考えていたのですが未だに目処も立っていない状況です。

これら以外にも、いくつかの学会の活動がありますし、大学(大阪市立大学医学部総合診療センター)では非常勤講師という立場です。現在週に一度程度研修医にクリニックに来てもらっての指導というかたちですが、今後もっと教育に力を入れていく必要があると考えています。日本プライマリ・ケア連合学会の「指導医」という資格も取得しましたので研修医へのよりよい教育は私の当面の課題となります。もちろん学会発表や論文執筆も医師である以上はおこなわなければなりません。

また、私はNPO法人GINA(ジーナ)の代表でもあります。GINAでは主にタイのHIV陽性者及びエイズ孤児の支援をおこなっていますが、これはこれからも継続させていかなければなりません。さらに、世界を見渡すとHIVを含め困窮している人々が大勢います。GINAではいずれタイのみならず活動の場を世界に広げていきたいと考えています。

こうやって現在の私の状況を省みてみると、いかにできていないことや中途半端になっていることが多いかを認識させられます。しかし、現在の私が最も力を入れるべきことは、なんといっても「ひとりひとりの患者さんをしっかりと診察する」ということです。いかにやるべきことが増えても、いえ、やるべきことが増えれば増えるほど、目の前の患者さんに対する診察に全力を注ぐということは忘れてはいけない、ということを改めて心に刻みたいと思います。


2014年1月3日 糸満の誰もいない静かな海岸にて


注:太融寺町谷口医院は、2007年の開院当初は「すてらめいとクリニック」という名称でした。