メディカルエッセイ

101 過熱するコレステロール論争 2011/6/20

  日本の医学界で昨年(2010年)最も話題となったひとつに、「コレステロールは高い方が長生きする?」というものがあり、このサイトの「医療ニュース」でも何度か取り上げました。
 
 ここしばらくこの話題が上らなくなってきたな、と感じていたのですが、医療者の間ではある論文をきっかけに再び注目されています。今回はその論文のことも含めて、これまでの流れを振り返っておきたいと思います。

 まず事の発端は、2010年9月に日本脂質栄養学会が学会(学術大会)でおこなった研究発表です。その研究では、「男性ではLDLコレステロール(悪玉コレステロール)が79mg/dL以下の人より、100~159mg/dLの人の方が死亡率が低く、女性ではどのレベルでもほとんど差がない」、とされています。さらに、日本脂質栄養学会が発表した「長寿のためのコレステロールガイドライン」には、「特別な場合を除き、動脈硬化性疾患予防に(コレステロール値)低下目的の投薬は不適切」とまで記されており、これが物議をかもしました。 

 さらに、マスコミが取り上げるときに、「コレステロールが高い方が長生き」という部分を強調して紹介したものですから、医療界のみならず一般の患者さんの間にも動揺が広がり、実際、臨床の現場では少なからず混乱が生じました。

 この混乱に対し、まず反応したのが日本動脈硬化学会です。日本脂質栄養学会の発表は、日本動脈硬化学会のガイドライン(高いコレステロールは下げなければならない)と真っ向から対立するものだったからです。日本動脈硬化学会は、日本脂質栄養学会の主張は科学的に根拠が不十分であることを指摘しました。

 そして2010年10月20日、日本医師会と日本医学会の双方の会長が、公開会見で、日本動脈硬化学会の見解を支持し、日本脂質栄養学会が主張している「コレステロールが高い方が長生きするなどといった考えには科学的根拠なく、必要な患者の治療を否定するような<長寿のためのコレステロールガイドライン>を断じて容認することはできない」、と激しく糾弾しました。

 日本動脈硬化学会、日本医師会、日本医学会が主張しているのは、従来から言われている「コレステロールが高ければ心血管疾患のリスクとなる」ということであり、これは世界的に支持されていることです。したがって、臨床の現場にいるほとんどの医師は従来どおりの考え方に基づいて診療をしているものと思われます。マスコミが盛んにとりあげていた2010年の秋は、患者さんからも「コレステロールは下げない方がいいの?」という問い合わせが相次ぎましたが(私も数人の患者さんから尋ねられました)、最近ではほとんど聞かなくなってきています。

 ただ、日本脂質栄養学会の主張がまったくの誤りかと問われれば、そう言い切れるわけではなく、例えば、中高年で他に心疾患のリスクのない(高血圧、糖尿病、肥満、喫煙などがない)女性であれば、少々(悪玉)コレステロールが高くても、下げる必要がないのではないか、と感じている医師は少なくないと思われます。(私もそのひとりです)

 ですから、「(悪玉)コレステロールの値がいくら以上なら直ちに無条件に投薬開始」と考えている医師は実際にはそれほど多くなく、「コレステロールは高い方がいい」などという奇をてらったような表現には嫌悪感を抱くものの、日本脂質栄養学会の主張にも一理あるように感じている医療者も少なくないのではないかと思われます。(私自身も興味があり日本脂質栄養学会のウェブサイトをときどき閲覧しています・・・)

 さて、「コレステロールは下げなくていい」とする主張をおこなっていたのはそれまで日本脂質栄養学会だけだったわけですが、2011年1月に自治医大が発表した研究結果(注1)が、日本脂質栄養学会の主張と同様、「低コレステロール値が高死亡率と関連していた」とする内容となっています。この研究は、日本の12の地域(北は岩手県、南は福岡県)の12,334人の健常者を対象とした大規模研究で1992年から平均11.9年間の追跡調査がおこなわれており、信頼性がかなり高いと言っていいと思われます。

 この研究を少し詳しく紹介すると、男性では総コレステロール(LDLコレステロールではなく総コレステロール)が基準値である160~200mg/dLのグループの死亡を1とすると、160mg/dL以下の死亡オッズ比は1.38となっています。(「死亡オッズ比」という表現は専門用語になりますが、大まかに理解するには、総コレステロール160~200mg/dLの人に比べると、160mg/dL以下の人は1.38倍死亡しやすい、と考えて差し支えないと思います) ちなみに、総コレステロールが200~240mg/dLのグループのオッズ比は1.09、240mg/dL以上のグループでは1.21となっています。これらをまとめて表現すれば、「男性では総コレステロールが基準値以下の160mg/dL以下になると死亡リスクが上昇する。基準値の160~200mg/dLの人に比べると240mg/dL以上の人は死亡リスクが多少上がるけれど、160mg/dL以下の人ほどではない。つまりコレステロールが基準値より低いグループの死亡リスクが最も高い」となります。

 女性の結果はさらに意外です。総コレステロール160~200mg/dLのグループの死亡を1とすると、160mg/dL以下では死亡オッズ比は1.42にもなっています。さらに驚くべきことに、200~240mg/dLのグループも、そして240mg/dL以上のグループも共に死亡オッズ比は0.93と、なんと正常とされている160~200mg/dLのグループよりも少ないのです。つまり「コレステロールが高いほど死亡リスクは低い」という結果になり、日本脂質栄養学会の主張とまったく一致するのです。

 では、結局のところコレステロールは下げた方がいいのでしょうか。下げるべきでないのでしょうか。ここからは、医師によって意見が分かれるところですので、すでに医療機関にかかっている人は主治医に聞いてほしいのですが、ここでは私個人の見解を述べておきたいと思います。基準値に当てはまっている人はいいとして、問題は基準値より低い場合と高い場合です。

 コレステロールが基準値より低い人は、何かしらの原因がないかを第一に考えるべきです。例えば低栄養状態や無理なダイエットなどはないか、あるいは甲状腺機能亢進症でコレステロールが下がっていることはないか、などです。もしも原因があるならその原因に対する対処(治療)が必要なのは言うまでもありません。

 コレステロールが基準値より高い人は、心血管リスクとなる他の要因がないかどうかを見極める必要があります。必ず必要な項目は、血圧、血糖、中性脂肪、喫煙、肥満、家族歴(血のつながりのある人が心血管系の病気にかかったことがないか)です。これらがまったくなければ、少々コレステロールが高くても薬は必要ないのではないかと私は考えています。コレステロールを下げるよりも、他の心血管のリスク要因の管理の方が重要というわけです。

 最後に、私自身が現在の日本のコレステロールの治療で最も問題と感じていることを指摘しておきたいと思います。それは、コレステロールを下げる薬剤費の問題です。日本脂質栄養学会によれば、日本人がコレステロールの薬に費やしているお金が年間2,500億円となるそうです。そして、この3割は自己負担としても、残りの7割の1,750億円は公的なお金(保険料もしくは税金)で賄われていることになります。(実際には1割負担の高齢者や自己負担ゼロの生活保護、500円のみ自己負担の母子保険なども考慮すべきですから、もっと多いはずです)。

 問題はこの中身です。コレステロールの薬は頻繁に新しいものが登場しています。最もよく使われているスタチン系の薬剤(新薬)では1錠80円前後のものが多く、これを仮に40歳から40年間服用するとすれば、80円x365日x40年=1,168,000円となります。さらに、最近では小腸でコレステロールの吸収を阻害する薬(ゼチーア)が使われるようになり、こちらは1錠240円もします。これを40年間服用すると350万円を超えます。

 しかし、私の経験で言えば、スタチン系の(新薬でなく)後発品のみで、ほとんどの症例でコレステロールが正常値まで下がります。例えば、スタチンの代表のひとつであるシンバスタチンであれば、その後発品を10mgも使えば9割以上の人は正常値となります。(最近、FDA(米国食品医薬品管理局)はシンバスタチンの使用量を1日80mg以下とするよう勧告をおこないましたが、私の経験で言えばほとんどの人は5mgで充分、不十分な場合でも10mgもしくは20mgまで使えば他の薬を加えなくてもほぼ正常値となります)

 というわけで私は高コレステロールの患者さんに対しては、ほとんどの症例でスタチン系の後発品のみの処方としています。これは「高騰し続ける医療費を抑制するために・・・」という大層な理屈ではなく、単に目の前の患者さんの負担を減らしたいという単純な理由です。それに、最近この私の考えを裏付けてくれるありがたい論文が発表されました。医学誌『Archives of Internal Medicine』2011年5月23日号(オンライン版)(注2)に、プライマリケアでの優先事項に関する論文が掲載されたのですが、この1つに「スタチンはブランド医薬品の前に後発薬を処方する」というものがあるのです。

 現在私は「コレステロールが高いほど長生きする」という考えに賛成しているわけではありませんが、薬が必要な患者さんに対しては、スタチンの後発品を第一選択薬として処方するというポリシーはこれからも続けていこうと考えています。


注1 この論文のタイトルは「Low Cholesterol is Associated With Mortality From Stroke, Heart Disease, and Cancer」で、下記のURLで全文を読むことができます。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jea/21/1/67/_pdf/-char/ja/ 

注2 この論文のタイトルは「The "Top 5" Lists in Primary Care」で、下記URLで概要を読むことができます。ただし「概要」には、上記に述べたスタチンについての記載はありません。

http://archinte.jamanetwork.com/article.aspx?doi=10.1001/archinternmed.2011.231v1&maxtoshow=&hits=10&RESULTFORMAT=&fulltext=Stephen+Smith&searchid=1&FIRSTINDEX=0&resourcetype=HWCIT

参考:医療ニュース
2010年10月27日「悪玉コレステロールを巡る混乱」
2010年10月7日「コレステロール基準についてNPOが見解発表」
2010年9月6日 「やはり悪玉コレステロールが高い方が長生き!?」
2010年7月14日 「悪玉コレステロールが高い方が長生き!?」