メディカルエッセイ

75 医師をだます詐欺師たち 2009/4/20

2009年4月7日、秋田地裁は20代の女性とその同居人の20代の男性に対し、詐欺罪の有罪判決を言い渡しました。判決は実刑で、女性には懲役2年6月(求刑懲役3年6月)が、男性には懲役1年6月(求刑懲役2年)が言い渡されています。

 マスコミの報道によりますと、この事件は、主犯の41歳の男性がその妻(30代)と上に述べた2人と共に、(さらに一部の報道によると合計20人余りで)、実態のない架空の会社を設立し、うつ病で働けなくなったと社会保険事務局などに虚偽の申請をおこない、傷病手当金合計5,500万円をだましとったとされています。

 傷病手当金は、申請は社会保険事務局などにおこないますが、申請するには医師の証明(診断書)が必要になります。主犯の41歳男性は、医師に「うつ病」と診断させるためにマニュアルを作成し、医師にどのように症状を伝えるべきかを指示していたそうです。

 この事件は悪質極まりない断じて許すことのできないものでありますが、このように医師をだますのはむつかしいことではない、ということについて論じてみたいと思います。しかしその前に、この事件についてマスコミの報道を振り返って少し詳しくみてみましょう。

 主犯の41歳男性(S氏とします)は、3年前に実態のない貴金属輸入販売会社を北海道に設立しました。全国7カ所に架空の支店を置き、約20人の社員にうつ病と偽らせて、傷病手当金を申請させていました。北海道警察は、会社設立の目的自体が手当金の詐取で、約7都道府県の社会保険事務局から計5,500万円を受給し、社員と山分けしたとみています。

 S氏は、インターネットなどでうつ病の症状を調べ、うつ病による手当金受給者の体験談や症例が書かれた資料を社員に配布したそうです。「よく眠れない」「動悸(どうき)がする」「物事をやるのがおっくうだ」など、受診時に医師に訴えるべき具体的な内容を指示、さらに実技指導もしていたといいます。また、仲間には受診する医療機関も分散させ、発覚するのを予防したとも報じられています。

 さて、この事件を一般の人が聞いたときにどのように思われるでしょうか。なかには、「患者にだまされるなんてバカな医者だなぁ」とか「こんな詐欺師にだまされるのはヤブ医者だけじゃないの」などと感じる方もいるかもしれません。

 しかし、患者側が上手に演技をすればなかなかその嘘を見破れるものではありません。とくに今回の「うつ病」のように精神疾患の場合は、診断が非常にむつかしく、患者さんの訴えが診断の決め手になることも少なくないのです。

 例えば、ガンに違いないと思っている人、HIVに感染したに違いないと思っている人(いずれのケースも太融寺町谷口医院にはよく来ます)になら、画像検査や血液検査で、「あなたは病気ではないんですよ」と伝えることができます。

 ところが、精神疾患の場合、(特にうつ病では)、客観的な血液検査や画像検査などでは分かりませんから、患者さんの主張が最重要の所見となります。(心理テストのようなものもありますが、画像や血液検査に比べて"絶対的な"基準になるわけではありません。また2009年4月から一部の医療機関で「光トポグラフィー」という脳の活動を測定する器械を使った検査がおこなわれており、うつ病の診断に役立ちますが、あくまでも"補助的な"ものです)

 以前、臓器売買であることを見抜けずに腎臓移植をおこなった医師が非難されるのはおかしい、ということをこのコーナーで述べましたが(下記コラム参照)、その事件も、患者側が「この女性は親族です」と嘘をついて医師をだましていたのです。

 おそらく、患者側の立場に立って一生懸命に治療しようという思いが強ければ強いほど、患者側の嘘にひっかかってしまうでしょう。もちろん、今回のような詐欺を考える輩がいることは我々医師も認識してはいますが、その演技力が巧みであればやはりだまされてしまうことはあるのです。今回の報道をみる限り、「うつ病」と診断した医師(精神科医)が非難されていないことに対して私はマスコミを評価したいと思います。

 さて、問題はこれからも同様の事件がおこらないかということです。

 今回の地裁の判決が、執行猶予がつかず実刑となったことは評価されていいと思います。私は法律には詳しくありませんが、こういった犯罪は実行されなくても企てただけでも罪にすべきと考えています。このような事件が模倣となって繰り返されるようなことは絶対にあってはならないからです。

 なぜなら、このような事件が次々と繰り返されるようになれば、本当にうつ病や他の病気に罹患している人が本来すべき申請をしにくくなる可能性があるからです。「私の症状はうつかもしれないけど、病院でそれを疑われて不快な思いをするのなら、受診しないでおこう・・・」、このように考える人がでてくるとすればそれは問題です。

 うつも含めて精神症状を抱えている患者さんは、おそらく他人には言えないようなことも医師の前では話します。私は精神科医ではありませんが、プライマリケア医(家庭医)として患者さんの心の悩みを聞くことがよくあります。なかには、「そのようなことを、よく話してくれたね」と、他人に知られたくないようなことを勇気を出して話せたことに、こちらが感動するようなケースもあります。

 その心の悩みが深刻であればあるほど、なんとか力になりたい、と感じます。自分の診療能力を超えると判断したようなケースであれば、精神科専門医を紹介するようにしていますが、患者さんが当院で治療を受けたいと強く希望されるような場合は、太融寺町谷口医院で診ることもあります。

 当院でこのように感じているのは私だけではありません。看護師や他のスタッフも同じ思いです。(当院では、カウンセリング経験の豊富な看護師による1時間単位のカウンセリングをおこなうこともあります) 

 なんとかして患者さんの力になりたい・・・。その思いが強ければ強いほど、演技力巧みな詐欺師にかかれば騙されやすくなるでしょうし、また、その思いが強ければ強いほど、今回のような事件をどうしても許せないと感じます。このような詐欺行為は、医師・医療に対する冒涜であると私は思っています。

 医師側からみたときに、こういった詐欺師に対処する術というものは何もありません。「詐欺師を詐欺師と見抜くための講義」などはありませんし、そんな勉強をするくらいなら、日々進歩している医学の新しい知識習得に時間を費やすべきです。

 医師をだますのはそれほどむつかしいことではありません。しかし、医師をだますことは、医療に対する冒涜であり、本当に医療が必要な人の受診を抑制させる可能性があるということを強く主張したいと思います。


参考:メディカルエッセイ第45回「臓器売買の医師の責任(前半)」