メディカルエッセイ

89 日本は「ワクチン後進国」の汚名を返上できるか 2010/6/20

最近、子宮頚ガンの原因であるHPV(ヒトパピローマウイルス)のワクチン接種の費用を自治体が負担することになった、というニュースをよく耳にします。

 以前このウェブサイトの「はやりの病気」(下記参照)でも述べたように、私はこのワクチンが日本でも普及すべきことを切望しますが、行政が費用を負担するということは現実的でない、と感じていました。その理由は、「はやりの病気」で述べましたのでここでは繰り返しませんが、「ワクチン後進国」と呼ばれているこの国で、歴史が新しく性交渉で感染する病原体のワクチンが急速に普及するとは到底思えなかったのです。

 しかし、実際には私の予想とは逆に、行政が費用を負担して積極的にワクチン接種を推奨する地域は急速に増加しています。2009年12月に全額公費負担を発表した新潟県魚沼市を皮切りに、兵庫県明石市、栃木県大田原市、東京都杉並区などがまずは続きました。その後多くの自治体が助成を決定し、2010年6月4日現在で、全国68箇所の自治体でHPVワクチンの全額(一部)助成が決定もしくは積極的に検討されています。(2010年6月9日、日本産婦人科医会の記者懇談会で同医会の理事が発表しています)

 6月4日以降も、新聞報道をみるだけでも、茨城県境町、大分県九重町、熊本県美里町、福井県坂井市、山形県大蔵村、三重県伊勢市などで、全額もしくは半額の助成が決定されています。山梨県にいたっては全市町村で全額助成が決定されたそうです。

 ここまでくれば加速度的に広がることもありえそうで、この流れは確かに歓迎すべきことではありますが、私は少し違和感を覚えています。誤解を恐れずに言うならば、HPVワクチンのみがこれだけ注目されるのは予防医学全般でみたときには奇妙であり、これだけ急速に広がるのは何か目に見えない"力"が働いているのではないか、という気がするのです。

 HPVは性交渉で感染します。いわゆる性感染症のひとつと言えなくもありません。実際、医療者の間でも保守派の人のなかには、「性感染症のワクチンを公費でおこなうことには抵抗がある・・・」と感じている人もいます。私自身は、性行為というのは誰もがおこなうものであり、特に危険な性交渉をした人にのみ罹患する感染症ではありませんから(このあたりの詳細については下記コラムを参照ください)、HPVが性交渉で感染するからといって公費負担をしないという考えには反対です。

 しかし、私に言わせれば、HPVのワクチンがこれだけ急速に広がっている現状はバランスに欠けているのです。

 例えば、場合によっては致死的な病となり後遺症を残すことも少なくない子供のインフルエンザ菌ワクチン(HIBワクチン)はどうでしょう。性交渉という主体的な行為の結果感染するHPVとは異なり、インフルエンザ菌は1歳未満の赤ちゃんを襲うこともあります。インフルエンザ菌による細菌性髄膜炎をおこすと5%は死に至り、15~20%は発達障害などの後遺症を残すと言われています。インフルエンザ菌にはすぐれたワクチンがあり、アメリカでは1987年から定期接種の1つとされていますが、日本では公費負担がおこなわれているところはほとんどありません。ワクチンの費用は4回接種で3万円程度はするのに、です。(インフルエンザ菌については下記コラムを参照ください)

 肺炎球菌についてはどうでしょう。子供に肺炎球菌が感染すると、インフルエンザ菌と同様、細菌性髄膜炎をきたすこともありますし、重症の中耳炎や肺炎を起こすこともあります。また、肺炎球菌は高齢者の致死的な肺炎の原因になることがあります。昔はこの細菌に罹患したとしても、適切な抗生物質の投与で治癒する病気でしたが、ペニシリンを多用した結果、人類は「ペニシリン耐性肺炎球菌」を生み出すことになり、さらに最近では、ペニシリンだけではなく、テトラサイクリン、マクロライド、ニューキノロンといった強力な抗生物質にも耐性を獲得した「多剤耐性肺炎球菌」が地球規模で増加しています。

 しかし、肺炎球菌にはすぐれたワクチンがあります。このワクチンを事前に接種して抗体をつくっておけば、「多剤耐性肺炎球菌」が体の中に侵入してきたとしても免疫力でやっつけることができるのです。繰り返しますが、「多剤耐性肺炎球菌」が子供や高齢者に感染すると致死的な状態になりかねないのです。

 肺炎球菌のワクチンは子供用と大人用では少し種類が違います。子供用はだいたい4回接種で合計4万円ほど、大人用は1回接種で7~8千円程度です(5年毎に追加接種がおこなわれるのが現在では一般的になっています)

 今、この国では少子化が大変な問題となっています。そして大切な子供たちがワクチンを接種していれば防げたと考えられるインフルエンザ菌や肺炎球菌に罹患して命を落としているのです。もちろん、子宮頚ガンで命を落とす若い女性の方が圧倒的に数では多いのは事実です。しかし、なぜHPVワクチンのみが公費となり、他のワクチンは費用負担がないのでしょうか。

 と、このような疑問を私は抱いていたわけですが、千葉県浦安市は2010年5月28日、HPV、インフルエンザ菌、肺炎球菌の3種類のワクチンについて、費用を全額助成する方針を発表したそうです。(報道は6月1日の読売新聞)

 報道では、3種のワクチンを全額助成するのは<県内初>とされていましたから、千葉県以外の都道府県では、(私の知らないだけで)同じように3種のワクチンを無料で接種できる自治体があるのかもしれませんが、決して多くはないはずです。

 では、HPV、インフルエンザ菌(HIB)、肺炎球菌の3つだけでいいのかといえば、まだまだ不十分です。古くから私のコラムやエッセイを読んでくれている方には、もう聞き飽きた、と言われるかもしれませんが、B型肝炎ウイルス(以下HBV)のワクチンがそれほど普及していないということは大変嘆かわしいことです。

 最近は、少しずつマスコミでもHBVのことが取り上げられるようになり、例えば日経新聞は2010年6月17日、「慢性化しやすい「欧米型」、B型肝炎の4割超に」というタイトルでHBVが国内で蔓延していることに注意を促し、「すべての人にワクチンを打つなどの対策が必要」と述べています。

 また、今年(2010年)の春に流行し、死者までだしているA型肝炎ウイルス(以下HAV)は食べ物から感染する、ときに致死的となる感染症であるのにもかかわらず、ワクチン接種をしよう、という声が聞こえてこないのは不思議です。(市民団体まで結成され啓蒙活動がおこなわれているHPVワクチンとは対照的です)

 さらに、安全性の高い不活化ポリオワクチンや、ときに小児の重症化する下痢の原因となるロタウイルスのワクチンは日本では入手することすら困難です。これらはアメリカでは、6歳までに接種するよう政府から推奨されているワクチンなのに、です。水痘(みずぼうそう)にも大変すぐれたワクチンがあり、これは日本で開発されたのにもかかわらず、アメリカを含む諸外国では打つのが当たり前ですが、日本では定期接種に入っていませんから接種率は高くありません。(ただし一部の自治体では公費負担があります)

 このように、それぞれの感染症をよくみると日本はどのように贔屓目にみても「ワクチン後進国」と言わざるを得ないのが現状です。HPVワクチンが普及することによって、予防医学への関心が社会全体で高まり、この国が「ワクチン後進国」を卒業する日は来るのでしょうか。

参考:
はやりの病気第77回(2010年1月)「子宮頚ガンのワクチンはどこまで普及するか」
はやりの病気第76回(2009年12月)「インフルエンザ菌とそのワクチン」
トップページ「肝炎ワクチンの接種をしよう!」
GINAコラム「本当に怖いB型肝炎」
GINAコラム「子宮頚ガンとHPVワクチン」

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