メディカルエッセイ

第162回(2016年7月) 医療批判記事からみえてくる医師の2つの過ち

 医療不信というのは古今東西どこにでもあり、それを煽る週刊誌の記事というのも「聞き飽きた」とう感じがしないでもないのですが、最近「週刊現代」がおこなった医療批判の特集は大きな波紋を読んでいるようです。
 
 腹腔鏡での手術全体を否定するような文章が物議をかもし、これがネット上で話題となりました。取材を受けた医師やNPOなどは、発言した内容と異なることを書かれたと、「週刊現代」に抗議をおこない、こういった一連の流れを他の週刊誌が報道しています。なかでも「週刊文春」2016年7月21日号は、「『週刊現代』医療記事はねつ造だ!」というタイトルで「週刊現代」の偏った記事を大きく批判しています。

 取材時に話した内容と異なる記事を書かれたという医師が必ず言うのは、「週刊誌に掲載された自分のコメントを信じて手術(服薬)を中止して、死期を早めたり、病状が悪化したりすれば誰が責任をとるんだ!」というものです。これは一見、まともな意見であり、このように言われると「そうだそうだ! 読者の興味を引くためにわざと極端な言い方をしたり奇をてらったような表現を使う週刊誌が悪い! 週刊誌はいくら売れるかという数字のことしか考えておらず、病気で困っている人たちのことは考えず、不安を煽っているだけだ!」と週刊誌(週刊現代)を糾弾したくなります。

 しかし、私はこういう意見を聞いたとき、「ちょっと待って! 医師には責任はないの?」と言いたくなります。というのは、もともとマスコミとはそういうものだからです。これは皮肉をこめて言っているわけではありません。マスコミは医学の教科書に書いてあることをそのまま記事にしても売り上げは上がらないわけで「従来とは異なる意表を突いた考えや奇をてらった意見」を紹介する方が売り上げにつながるのはしごく当然のことです。

 私は研修医の頃に、何度となく先輩医師から「マスコミの取材は安易に受けるべきでない。曲解して記事にされるのがオチだ」という話を聞いていました。ですから、私自身は電話取材は100%お断りしていますし、メールで質問されたときも、「発表するまでに必ず原稿を見せてほしい。その約束ができないなら初めから受けない」と答えています。ちなみに、マスコミの取材に答える医師というのはそう多くなく、どこのマスコミも協力してくれる医師を必死で探しています。病院やクリニックには当然そのような電話がたくさんかかってきますから、太融寺町谷口医院では、まずウェブサイトの該当ページを読むよう伝えています。このページを作成してから、依頼をしてくるマスコミは激減しました。こんなに面倒くさいならやめておこうと思うのでしょう。

 興味深いことに「必ず原稿を見せてほしい」というと、その段階で引き下がるマスコミが少なくありません。おそらく、「初めから結論ありき」の記事を書くつもりで、信頼性を高めるために医師の名前を引き合いに出したいだけなのでしょう。

 一方で、こちらの意図を理解してくれて、記事を発表する前にきちんと原稿を見せてくれるジャーナリストもいます。こういう人たちは、ほとんど例外なく勉強熱心で、我々からも学ぼうとしてくれています。読者の関心を引く内容にしなければならないことを考えつつも、最終的に読者を困惑させるのではなく読者に正しい知識を持ってもらうように努めようとしている姿勢が伺えます。

 ただ、私は週刊誌の取材に安易に答えた医師たちを非難したいだけではありません。忙しい中、マスコミの取材に答えたのは、「本当のことを世の中に伝えて患者さんを救いたい」という思いが強いからです。そういう意味で、取材に答えるのは「一直線で純粋な医師」という見方もできるでしょう。それに、緊急を要するような状況のなかでは、ジャーナリストと事前にじっくりと話をして、文章を何度も校正して・・・、という作業はおこなえません。例えば、震災や原発事故などがおこれば、詳細はともかく一刻も早く伝えなければならない情報もあるわけです。そういう場合は、求められれば医師は「自分の発言が曲解されないだろうか」と考える前に、医学的に正しい情報を供給すべきです。

 しかし、今回「週刊現代」がおこなった医療批判の特集は、そのような緊急性を要する内容ではありません。ですから私としては、取材に答えた医師たちに、なぜ、発売されるまでに、「自分の発言に関する箇所だけでも原稿のチェックをさせてほしい」と言わなかったのか、と言いたくなるのです。今回、自分の発言と異なる内容のコメントを載せられた医師たちは今後同じような取材を受けることはないでしょうが、(私が研修医の頃よく聞いたように)若い医師たちに「マスコミの狡猾さ」を伝えてほしいと思います。

 さて、私が今回の騒動で言いたいのは医師側の問題が少なくとも2つあるということです。ひとつは、今述べた、自分の発言が記事になるまでに内容に不備はないか確認しておくべきであったということ。もうひとつは、そもそもなぜこのような医療批判特集が好まれるのか、その原因が医師側にあるのではないか、ということです。

 医療批判特集がよく読まれて話題になる・・・。これはすなわち、裏を返せば、それだけ「読者の主治医が信頼されていない」ということに他なりません。「週刊誌がいい加減な記事を書いて勝手に薬をやめる患者がでてくればどうするのか」と言う医師は「自分自身が週刊誌よりも信頼されていない」とういことを堂々と認めているわけです。週刊誌を批判する前に、自分自身のふがいなさを嘆くべき、と言えば言い過ぎでしょうか。

 実は私も患者さんから「テレビでコレステロールはいくら高くても問題ないって聞いたから先生に処方してもらった薬やめてるんです」と言われたことがあります。つまりその患者さんの私に対する信頼度はテレビ番組以下ということです。これは嘆かわしいことではあるのですが、信頼度を取り戻して、なぜ今の状態でコレステロールの薬が必要かを一から説明し直すしかありません。

 私が医学部の学生時代、大学病院で実習を受けていた頃、ある先生から「自分は<近所のおばちゃん>や<MM>(ワイドショーのパーソナリティ)にはかなわないんや・・・」という話を聞いたことがあります。医師である自分の話は聞かないし、薬の飲み忘れも多い一方で、「<近所のおばちゃん>がええよって言うてたからグルコサミン始めたんですわ・・」、「MMさんがテレビで薬減らしたほうがええ言うてたから先生の薬やめましたわ」と平気で言う患者が多いと言います。「まあ、自分はその程度にしか思われてないということや」とその先生は自虐的に言っていましたが、おそらくほとんどの医師が同じような経験をしているはずです。

 しかしここで、「患者は分かっていない」などと考えれば何も解決しません。患者さんの多くは、週刊誌やテレビ、インターネットなどを駆使していろんな医療情報を探し求めています。もちろん、患者さんが知識を増やすことはいいことですし、それを次回の診察時に持ってきてくれて「こういう情報を聞いたんですけど実際はどうなのでしょう」と質問してくれれば、これは良好な医師患者関係です。しかし、いかがわしい医療情報をうのみにして、高価なサプリメントに手を出したり、医療機関通院をやめてしまったりすれば問題です。

 私が医師の経験が増えれば増えるほど感じていることのひとつがまさにこの点で、特に慢性疾患の場合は、教科書通りの処方や検査を「すること」ではなく、なぜその処方や検査が必要であるかを「理解してもらう」ことの方がはるかに重要なのです。そして患者さんに「理解してもらう」には、患者さんを「理解する」が先です。そうなのです。一般の人間関係と同じで「理解してから理解する」が医師患者関係の基本なのです。

 と言えば、聞こえがいいですが、私自身がすべての患者さんをどこまで理解できているかと問われれば、ほとんど自信がなく、「限られた診療時間」という言葉を言い訳にして中途半端な診察しかできていないというのが正直なところです・・・。