マンスリーレポート

2016年7月 その医学部受験、後悔しませんか?

 医学部の人気が上昇し、偏差値がかつてないほど上昇しているそうです。『週刊ダイヤモンド』2016年6月18日号の特集は「医学部&医者」で、医学部受験の実態を詳しく紹介していました。倍率が最も高い東海大学医学部ではなんと85.7倍。63人の枠に5,398人が押し寄せたそうです。

 しかし、そこまでして医師になりたいという人は本当にそんなに多いのでしょうか。私は医学部入学前に文系(社会学部)の大学を卒業しており、その後4年間の会社員生活をしていましたから、医師以外の友達や先輩と話す機会は今もあります。そういう友達たちに医師の生活の話をすると、ほとんどの人が「自分は医師にはなれない。いや、なりたくない」と言います。例を挙げましょう。

 以前私が勤務していた病院のある女性医師の話です。彼女には結婚まで考えているパートナーがいました。ところが医師になってから「すれ違い」が増え、医師の世界のことを理解してもらえないと言います。次のような感じです。

(22時頃、久しぶりのデート。レストランを出てこれからどうしようかと迷っているところに病院からの電話をとった女性医師。その後の展開は・・・)

女性医師:「緊急内視鏡の患者さんが来たから病院に戻らないといけなくなったの」

パートナー:「えっ、今から? この前もそれで一緒に行った映画の試写会、途中で抜けて出て行ったじゃないか。それに、こうやって突然呼び出されても手当がついたり代休がもらえたりするわけじゃないんだろ。そんなの労働法違反だよ」

女性医師:「労働法なんて言ってたら医師の仕事は務まらないの」

パートナー:「先週の日曜も学会発表だとか言って、東京に出張に行ってたよね。あれもお金がでないのか」

女性医師:「当たり前よ。そんなの出るわけないでしょ。医者とはそういう職業なの。うちの病院なんか交通費を出してくれるからまだましよ。交通費も宿泊費も自腹で、という病院も少なくないのよ。患者さんを待たせるわけにはいかないからもう行くね・・・」

 このパートナーの男性は、彼女を束縛しているわけでも無茶なことを言っているわけでもありません。やはり"おかしい"のは医師の方だと私も思います。しかし、これが現実なのです。タイムカードは病院によってあることもないこともありますが、医師の残業代というのは非常に曖昧で、収入が労働時間を反映しているわけではありません。ほとんどの医師は早朝から深夜まで働き尽くしで、休日も入院患者さんを診に行ったり、学会や研究会に参加したりします。1日中家にいるという休日はめったになく、あったとしても自宅で論文や教科書を読んでいる医師がほとんどでしょう。

 私は産業医の仕事もしていますから、過重労働がある労働者と面談をする機会があります。現行の労働安全衛生法では、月平均の過重労働(平日の残業時間+休日の労働時間)が80時間を超えるか、ひと月でも100時間を超えると、産業医との面談をおこなわなければなりません。そこで私は、「80時間を超えると心身ともに異常が出現する可能性が増え、仕事ができなくなって、最悪の場合は「過労死」も考えないといけなくなる」、といったことを話します。しかし、自分自身のことを振り返ってみると、月の過重労働は「労働時間」の解釈の仕方によっては軽く150時間(全労働時間でいえば310時間)を超えます。それが何年も続いているというか、医師になってからずっとこの調子です。現在は夜中に起こされることがないだけましです。

 ただ、これは「労働時間」を、教科書や論文を読む時間、患者さんの問い合わせにメールで回答したり、わからないことを他の医師に質問したりする時間も入れ、さらに、学会や研究会の参加時間も含めてのことです。論文を読んだり学会に参加したりするのは、「自分の勉強のため」であり「仕事ではない」という解釈をすれば、労働時間は大きく減少します。(それでも、診察時間とカルテやその他必要書類を書く時間だけを労働時間としたとしても過重労働は月100時間を超えますが・・・)

 では、なぜこんなにも医師の労働時間は長いのでしょうか。答えは自明であり、それは医師不足だからです。勤務医であれば、夜間の当直業務から逃れることはできません。絶え間なく救急車が入ってきて一睡もできないことだってあるのです。それで翌朝は通常通りの仕事が待っています。開業医であったとしても在宅や往診をおこなっている医師は24時間365日、患者さんからの電話に待機しなければなりません。現在の私は夜間の当直業務はしていませんし、夜中の電話はとらないようにしています。(クリニックを開始した初期は電話を取っていたのですが、緊急性のない電話があまりにも多く、現在は夜間は電話を取らないことにさせてもらっています) それでも労働時間は先に述べた通りです。

 ならば医師の数を大幅に増やせばいいではないか、となるわけで、私は昔からそう思っています。拙書でも述べたことがありますが、私は医師の数を現在の倍にして労働時間と収入を半分にすべきと考えています。医師の年収の調査はときどきおこなわれており、冒頭で紹介した『週刊ダイヤモンド』の記事によれば、職業別平均年収ランキングで医師は2位で1098.2万円もあるのです! ちなみに1位は航空機操縦士で1531.5万円、3位は弁護士の1095.4万円です。

 年収1千万円もいらないから、休みが欲しい、家族と過ごす時間を大切にしたい、と考えるのが"普通の"感性だと私は思いますが、現実は先に述べたような状況です。では、そんな非人間的な生活を強いられているなら、医師が一致団結して医師数を増やしてもらえるように厚労省に訴えればいいではないか、と考えたくなります。しかし、不思議なことに、医師数を増やしてほしいと考えている医師はなぜかそう多くないのです。

 医師不足問題にいち早く取り組み市民活動もされている本田宏医師の著書などによると、「医師は増やすべき」という本田氏の主張に反論する医師も多いそうです。もうひとつ例を挙げましょう。医師の総合医療情報サイト「m3.com」が2016年4月に全国81医学部の学長を対象としたアンケートを実施しています。そのアンケートの項目のひとつに「医学部の定員を増やすべきか、減らすべきか」というものがあります。結果は、「減らすべき」が64%、「現状維持」が36%で、「増やすべき」という回答は皆無だったのです。

 つまり、本田宏医師や私のように「医師を増やすべき」と考えている医師は少数派であり、多くの医師は医師増員に反対、つまり「現在の労働時間に不満はない」と考えているということになります。あるいは、「現在の収入を維持したいから長時間勤務は辛いけれど頑張り続ける」と考えているのかもしれません。たしかに、医師不足が続いている限り、医師は高収入を維持できます。私を例にとってみてみましょう。

 私がこれまでに最も年収が多かったのは、クリニックをオープンする前の年です。実はもう少し早くオープンさせる予定でいたのですが、予定していたビルに直前で入れなくなり計画が狂ってしまいました(注1)。そのため、クリニックのオープンは延期とし、当時立ち上げたばかりのNPO法人GINAの活動に力を入れ、2ヶ月に一度程度のペースでタイに渡航していました。そして、日本に滞在している間に複数の病院や診療所でアルバイトをすることにしたのです。どこの医療機関も医師不足ですから、医師のアルバイトというのは、単発のものでも週に一度のものでも簡単にみつけられますし、アルバイト代は「破格」です。救急車がひっきりなしに入ってくるような病院であれば一晩10万円以上なんてこともあります。このようなアルバイトを続けていると収入は驚くほど高くなり、この年の私の年収はなんと1500万円を超えました! これがこれまでの私の年収の最高額で、今後これを超える年は、再び同じような生活をしない限りは起こりえません。もっともこの年に稼いだ収入は、半分は税金で持っていかれましたし、GINAの関連で寄付などに大半を使い、手元にはほとんど残りませんでしたが・・・。

 現在の私はこの逆の立場です。つまり診療所をオープンさせていますから、自分が休みたければ、他の医師を雇うということが理屈の上では可能です。しかし、医師不足の中、私が以前もらっていたようなお金を今度は支払わなければなりません。そうすると、当院のように一人当たりの診察にそれなりに時間をとる診療スタイルであれば、一気に赤字になり、診療を続ければ続けるほど赤字が膨らんでいくことになります。もちろんそんなことはできませんから、結局のところ、「自分の勉強のため」という大義名分を思い出しながら、これまで通り長時間労働に勤しむしかない、ということになります。

 ただ、私自身はそれでいいと思うようになってきました。残された人生、自分の最大のミッションのひとつは「医療に貢献すること」です。しかも、私にとっては教科書や論文を読んだり、学会や研究会に参加したり、他の医師たちとメールで症例の検討をおこなったりするのは楽しいことであり、その楽しさが単に楽しいとうだけでなく医療への貢献にもつながるのです。楽しくて貢献できるなら、長時間労働も厭うべきでないというのは「自然で当然」なことなのかもしれません。

 しかし、これから医学部を目指すという人は、本当にそのような生活でいいのかどうか再度考えてみた方がいいでしょう。最初に紹介した女性医師はその婚約者とその後どうなったのか。今度どこかで会えば聞いてみようと思いますが、苗字は今も変わっていないようです・・・。


注1:詳しくは下記を参照ください
マンスリーレポート2006年3月号「天国から地獄へ」