はやりの病気

第183回(2018年11月) 誤解だらけのインフルエンザ~ゾフルーザは時期尚早~

 私が早く開業をしたいと思った理由のひとつが「正しいことを伝えたい」ということです。これだけ情報化社会が発達しても、医学部で習う基本的なことが世間では誤解されていて、しかもテレビのパーソナリティや近所のおばちゃんの言っていることが正しいと信じ、医療者が言うことを信用しないひとが今も多数います。勤務医時代にこのことを不思議に感じた私は「医師の伝え方がまずいのではないか」と思うようになり、「ならば自分が今までにないやり方で正しい事を伝えようではないか」と考えたのです。

 もちろん現代の医学は万能からは程遠く、分からないことがたくさんあり、また有効な治療法がない疾患もあります。基礎的な理論ですら、後になって間違っていたことが判った、ということもあります。ですから、医師の言っていることがいつも正しいということはありません。ただ、我々医師は分からないことが多数ある、という前提でいつも医学を考えています。

 前置きが長くなりましたが、今回はインフルエンザの話です。太融寺町谷口医院がオープンしたのは2007年1月で、ちょうどインフルエンザが流行している時期でした。開業した最初の3ヶ月くらいはまだ今のように混雑しておらず、ある程度時間をとって話すことができました。そのため、罹患した患者さんにはそれなりに時間を確保して、インフルエンザの正しい知識を伝えることに努めました。

 先に「医学は万能ではなく分からないことが多数ある」と述べましたが、インフルエンザについては、現在分かっていることもたくさんあります。その後新たに登場した薬のことも含めて、私が12年間言い続けていることでいまだに誤解が多いものをいくつか紹介したいと思います。

・抗インフルエンザ薬にはタミフル(一般名はオセルタミビル)などがある。服薬することにより少し(具体的には1日からせいぜい2日)治癒するまでの期間が短くなる。

・インフルエンザに罹患したからといって必ずしも抗インフルエンザ薬は必要ない。健常な成人であれば高熱と倦怠感で苦しめられていても数日間寝ていれば治る。

・インフルエンザに最も有効な対処法はワクチンであり、原則としてすべての人に推薦される(ただし妊娠中の女性には慎重に、という意見は2009年までは確かにありました)。

・インフルエンザのワクチンは接種しても感染する。目的は、①感染の可能性が低下する、に加え、②感染しても重症化が防げる、と、③他人へ感染させるリスクを下げる、であり、③が最も重要。

 他には、インフルエンザの検査は必ずしも勧められない、インフルエンザの可能性があればアスピリンやボルタレンなどの鎮痛剤はNG(飲んでいいのはアセトアミノフェンのみ)、学生の場合は学校保健安全法により出席ができない(が、会社員は会社が決める)、飛行機には乗れない場合がある(航空会社が決める)、治癒証明書は不要(厚労省も指針を表明しています)、予防薬は例外を除けば使うべきでない、といったことも多くの患者さんに説明してきました。

 それらをここですべて説明する余裕はありませんが、インフルエンザという疾患は他の病気に比べて「誤解」が非常に多いのは間違いありません。そして、今年は新薬の「ゾフルーザ」(一般名はバロキサビルマルボキシル)に伴う「新たな誤解」が早くも流布しています。実際、すでに診察室でも患者さんから誤った意見を聞いています。その誤解を解いていきましょう。

 まず、そもそもなぜ人は誤解をするかというと、間違った情報が流れているからです。悪意のあるフェイクニュースでなくとも、きちんと検証されたわけではない情報が飛び交っている結果、誤解が誤解を生んでいるのです。ゾフルーザに伴う具体的な「誤解」を紹介しましょう。

【誤解1】ゾフルーザは従来の抗インフルエンザ薬(タミフル、イナビル、リレンザ、ラピアクタ)よりも、よく効いて早く治る

【誤解2】ゾフルーザの副作用は抗インフルエンザ薬のなかで最も少ない。他の薬より早く効いて副作用が最小なのだから、近いうちに他の抗インフルエンザ薬はなくなる。

【誤解3】ワクチンをうつよりも、インフルエンザが流行りだせばゾフルーザを1回飲む方がいい。

 順にみていきましょう。【誤解1】については大手メディアでさえもそのように報じています。たしかに作用機序から考えて、従来の抗インフルエンザ薬に比べるとゾフルーザが早く効く可能性があり、そのような研究もあります。ですが、研究にはエビデンス(科学的確証)がなければなりません。ゾフルーザが市場に登場したのは2018年3月で、このときには信頼できるデータがありませんでした。他の抗インフルエンザ薬との比較に関する信ぴょう性の高い論文はようやく2018年9月に登場しました。

 医学誌『New England Journal of Medicine』2018年9月6日号に「成人患者と10代患者を対象とした合併症のないインフルエンザに対するゾフルーザ」というタイトルの論文が掲載されました。『New England Journal of Medicine』は世界で最も信頼できる医学誌のひとつであり、エビデンスレベルの高いものしか掲載されません。この論文によれば、ゾフルーザにより症状を1日短くしますが、これはタミフルと同様です。

 つまり、きちんと検証した結果、「ゾフルーザでもタミフルなど他の抗インフルエンザ薬でも治るまでの期間は変わらない」ことが判ったのです。ゾフルーザは1回飲むだけだから簡単という声もありますが、それならば1回吸うだけのイナビルと差がありません。ただし、同論文によれば、ウイルスが検出される期間はタミフルよりも2~3日短くなっています。これは他人への感染リスクを下げますからゾフルーザの大きな利点となります(しかし、この点を強調した一般のメディアによる報道を私はいまだに見ていません)。

 次いで【誤解2】をみていきましょう。安全性については、たしかにこの論文で「有意差をもってタミフルよりも副作用が少なかった」とされています。ですが、安全性についてこの時点で断言するのは時期尚早です。なぜなら、基本的にこの研究も含めてこれまでゾフルーザは健常人を対象にした調査しかされていないからです。我々が知りたいのは、例えば抗がん剤を服用しているとか、腎機能が低下しているとか、ステロイドを飲んでいるとか、そういった人たちに対する副作用です。ですから、この時点でゾフルーザが安全と断言するのは危険です。

 【誤解3】は論外です。このような飲み方を勧める医師は(おそらく)世界中に一人もいません。抗インフルエンザ薬の予防投与は例外的に認められていますが(参照:インフルエンザの薬の予防投与はできますか。)、ゾフルーザの予防投与は有効性・安全性が確立されていません。

 予防にゾフルーザを用いるべきでないはっきりとした理由があります。そしてこの理由が、我々がゾフルーザを治療にも積極的に使用しない最大の理由のひとつであり、先述の論文が明らかにしました。それは「約1割にウイルスの遺伝子変異がみつかり、ウイルス排出期間が長引き治癒が遷延した」ということです。分かりやすく言えば「使用者の1割はゾフルーザを飲むことでゾフルーザが効かなくなり治るのに時間がかかる。さらに、その効きにくくなったウイルスが周囲にばらまかれることになり、いずれゾフルーザが無効なインフルエンザが蔓延する可能性がある」ということです。

 つまり、我々医療者はゾフルーザに期待はしていますが、どうしても必要な症例に適応を絞ることを考えているのです。むやみに使うと、いざというときに効かないウイルスだらけになってしまっている可能性があるからです。