はやりの病気

第192回(2019年8月) 「夜勤」がもたらす病気

 それは私が研修医の頃の深夜の救急外来。立て続けに搬送されてきた重症例の治療を終えて一息ついた後、当時50代前半のベテランの内科医の先生と世間話をしていました。患者からもスタッフからも人気があったその先生のことを、私はまだまだその病院で活躍されるだろうと思っていただけに、その言葉は意外でした。

 「3月でこの病院を退職して特養(特別養護老人ホーム)で働くことにした......」

 この言葉だけなら、私も「まあ、高齢者にも人気のある先生だし、きっとご自身で取り組みたい医療があるのだろう」と思えたわけですが、転職の理由が「もう夜勤はできない」だったのです。正直に言うと私は少し寂しい気持ちになりました。私はその先生から救急の"心得"のようなものをいくつも学んでいたからです。そして、このときに思ったのが「自分は(この先生とは違って)いくつになっても<夜勤はできない>などとは言わないぞ!」ということでした。

 それから数年たったある日、その頃にはすでに太融寺町谷口医院を開業していたわけですが、ふとその先生の言葉が蘇りました。その日の前日の午後10時から明け方まで、大阪市の夜間救急診療所で外来をしていました。終了後2時間ほど仮眠をとって、谷口医院の外来を開始したところ、いつものように頭が回転しないことに気づきました。身体も重く椅子から立ち上がるのにワンテンポ遅れます。身体がついてこず、脳のキレも悪くなっているのです。それを自覚した瞬間、一気に疲労感に襲われました。

 私が初めて"老化"を感じたのがその日でした。それでもまだしばらくの間は、深夜の救急外来をやってもなんとか翌日の仕事をこなせていましたが、次第にその夜勤を億劫に感じてしまっていることに気づきました。それまでも「歳をとると夜勤が辛い」という話はいろんな医師や看護師から繰り返し聞いていましたが、「自分は大丈夫」と何の根拠もない自信がありました。しかし、いつしか「先輩たちは正しかったんだ...」と認識するようになりました。そして、冒頭で紹介した50代前半まで救急外来で活躍されていた先生に対し「寂しい」気持ちになった自分を恥じ、そして今も現役で深夜の救急や、夜勤をされている医療者に対する敬意がでてきました。

 ですが、「頑張っている先生や看護師もいるんだから自分も身体にムチを打ってでも深夜に働くんだ」と言う気持ちにはもはやなれませんでした。医療の現場では深夜に働く医療者は絶対に必要なわけですが、これは若い者が担うべきではないか、というのが私の考えです。無責任な理屈であるという非難の声があるでしょうが、仕事には「適正」を考えるべきです。ある程度年をとった者は、深夜勤務という強烈に体力を奪う仕事は可能な限り避けるべきです。そして、これはもちろん医療職に限ってではなく、すべての仕事について言えることです。

 私のこの意見は「しんどい仕事は体力のない中高年には向かない」ということだけではありません。しんどくても休めば回復するならそう問題はないでしょう。問題は「中高年の夜勤はいくつもの病気のリスクを増やし寿命も縮める」ことです。まずはこういったことを社会に周知してもらい、社会全体で中高年の夜勤を減らすことを考えていくべきだと思います。

 中高年の夜勤やシフト勤務がいくつかの疾患のリスクになるという研究はこのサイトですでに何度か紹介しています。今回はまだ紹介していないものも取り上げ、深夜勤務のリスクの総復習をしたいと思います。

 まずは少し古い研究から紹介しましょう。2001年に発表されたこの研究は世界中の、特に医療者に注目されました。研究の対象が女性看護師であり、結果は「シフト勤務は乳がんのリスクを上昇させる」だったからです。この研究は医学誌『Journal of the National Cancer Institute』2001年10月17日号(オンライン版)に「看護師健康調査からわかったシフト勤務と乳がんのリスク(Rotating Night Shifts and Risk of Breast Cancer in Women Participating in the Nurses' Health Study)」というタイトルで紹介されています。

 この研究のエビデンスレベルが高い(信用度が高い)のは、「Nurses' Health Study」という信頼度の高い健康調査のデータが解析されているからです。回答しているのがきっちりと労務管理されている看護師であり、しかも対象者は78,562人、調査期間は10年間の前向き研究(注1)です。

 結果は、「1~29年間、夜勤のシフト勤務をしていた看護師は、していない看護師に比べて乳がんのリスクが1.08倍上昇する」です。シフト勤務が長くなればそれだけリスクも上昇するようで、30年間以上夜勤をしていた女性のリスクは1.36倍になることが分かりました。もちろん、夜勤をすれば必ず乳がんになるわけではないので、他の乳がんのリスク、例えば喫煙、肥満、低用量ピルの使用などを考慮し、さらに定期的な乳がん検診を実施しながら夜勤をすることはかまわないとは思いますが、リスクが上昇すること自体は知っておくべきでしょう。

 他の研究もみてみましょう。疾患で言えば、夜勤をするシフト勤務は心筋梗塞などの心疾患のリスクが上昇するという研究があります。また、HDLコレステロール(善玉コレステロール)が低下し、中性脂肪が増加し、糖尿病のリスクも増加するという研究もあります。夜勤をすると肥満になりやすい、とする研究もあれば、夜勤明けは交通事故を起こしやすいとする報告もあります。

 ここで太融寺町谷口医院の患者さんのデータを紹介しましょう、と言いたいところですが、残念ながら(私が億劫なこともあり)そういったデータをまとめる作業をする気になれません。なぜなら、日ごろ患者さんを診ている私の経験から、夜勤をやめれば健康的になっていくのは自明であり、わざわざ数字を出さなくてもいいと思えるからです。

 体重過多の人は体重を落とすことに成功し、肌の調子がよくなり、月経不順が改善します。乳がんのリスクが下がったかどうかは検証していませんが、健診のデータ(中性脂肪や血糖値)は多くの例で改善しています。それに、精神状態が良くなり、見た目が若くなります。つまり、夜勤を止めればいいことばかりなのです!

 主に経済的な事情から中高年になってから夜勤をせざるを得ない人もいます。また、人手不足から深夜も働かざるを得ないという人も少なからずいます。職種で言えば目立つのが介護職の人たちです。看護師の場合も、病院勤務なら通常は夜勤がありますし、診療所勤務の場合でも訪問看護をやっていれば深夜に電話がかかってくることがあります。

 医療者から「夜勤がしんどい」という話を聞くと、現在夜勤から離れている私は申し訳ない気持ちになるのですが、先述したように、だからといって「自分も再び深夜に働く」とは言えません。ですが、私の場合40歳になるまでは深夜勤務にほとんど疲れを感じませんでしたし、夜間の救急外来は様々な"ドラマ"がありますし、それに夜間の仕事は給与が高い!のです。実際、私の年収が最も高かったのは谷口医院を開業する前の一年間で、このときは週に3~5回は深夜も働いていました。その年の年収はちょっとここには書きにくいほど高いものでした(開業してからは一気に収入が減りました)。

 社会全体で深夜勤務のリスクを認識し、体力のある若者に働いてもらい充分な給与を支払う。一方、中高齢者は深夜勤務を避けることで様々な病気のリスクが減り、元気に長生きできる。すると、社会としては医療費が抑制できる。若者は深夜の世界で社会を学ぶ。いいことばかりではありませんか! こういうことを言い訳にして私自身は今も深夜勤務から遠のいています......。