マンスリーレポート

2022年3月 『総合診療医がみる「性」のプライマリ・ケア』上梓にあたり

 2022年3月5日、『総合診療医がみる「性」のプライマリ・ケア』という本を上梓しました。一応、医学書というカテゴリーにはなりますが、太融寺町谷口医院をオープンして15年が経過した今、人の身体と精神を診察する上で、そして人間そのものを考える上で「性」がいかに大切かという観点からまとめた本です。

 私の文章を昔から読んでくれている人はもう聞き飽きたと思いますが、私自身が医師を目指すようになったのは医学部の4年生になってからという遅さで、医学部入学時には医師ではなく研究者を目指していました。研究したかったのは「人間の思考、行動、感情」といったもので、一言で言えば「人間とは何か」を知りたかったのです。

 私は10代の頃からこの「疑問」に取りつかれていて、高校生の頃は「人は何のために生きているのか」「自分はどこに行くべきなのか」「自分が生涯をかけてやるべきことはあるのか、あるとすればそれは何なのか」といったことを四六時中考えていました。その時に出た「とりあえずの結論」は、「ここにいてはいけない」でした。

 つまり、「こんな田舎にいても自分の人生を無駄に過ごすだけだ」と考え、都心部に出ることだけを夢見るようになったのです。高校生の頃、大学に(少なくとも偏差値の高い大学に)行けるような学力はなく、このまま卒業して地元の工場で働いて、ささやかな楽しみは車をいじることとパチンコと週末のスナック通いと......、とそんな生活を想像すると耐えられなくなったのです。

 なにしろ、ファストフードは1軒もなく(私が卒業してからマクドナルドができたようです)、喫茶店が数軒あるだけ、映画館はときどきできてもすぐにつぶれ、貸しレコード屋が1軒のみ、とそんな田舎です。高校を卒業すれば、堂々とパチンコ店に入れることと、スナックとやらに行けることくらしか娯楽は増えません。

 その数年後には「勉強が好き」になった私ですが、高校生の頃、勉強は最も嫌なもので楽しいと思ったことなど一度もありません。模擬試験の偏差値が50を超えることはほとんどなく、英語と数学のクラスは成績別でしたが、私はついに最後まで上のクラスには行けませんでした。高3の12月に返って来た河合塾の全統記述模試では総合で偏差値が40です。

 しかし後がない私は「都会に出る」ことだけを心の糧に高3の12月から猛勉強を開始しました。高3の夏休みに見学に行った関西学院大学(以下「関学」)のとても綺麗なキャンパスを思い出し、時計台の前の芝生で寝そべっている自分を想像し、勉強に嫌気がさしてくると関学のパンフレットを取り出してやる気を奮い立たせ、そして、勉強する内容は関学の赤本過去9年分のほぼ丸暗記です。

 この方法で合格できた私は、「やればできる」という感覚をつかんだような気がしました。その後、関学時代も就職してからも「やればできる」をモットーに、苦手だった英語を克服し、一見無理にみえる仕事にも取り組むようになりました。会社員時代は新しいプロジェクトを自分で提案し、キーパーソンへの根回しなど人間関係でも「やればできる」の精神で突き進みました。医学部受験も「やればできる」を信じました。

 「やればできる」は使い古された表現なので、いつしか「no pain, no gain」を口癖のようにしていました。この言葉も受け売りですが、韻を踏んでいるところが気に入ったのです。きっかけは、たしかリチャード・ブランソンの自叙伝だったと思います。

 「医学部受験など真剣になれば誰にでも可能だ」、と当時の私は言い続けていました。そして、その考えをまとめたのが『偏差値40からの医学部再受験』という本で、2002年、私が研修医1年目のときに出版しました。この本はよく売れて改訂版も3度ほど出版され、全国から多くの手紙やメールをいただきました。なかにはこの本を持って私の職場まで会いに来られた人もいました。本を持ってきて「サインをしてください」と言われるのです。

 こういうときはたいてい「何か一言書いてください」と依頼されるので、私はいつも「no pain, no gain」と書いていました。

 さて、冒頭で述べたように最近新しい本を上梓しました。現在谷口医院に勉強に来ているある医師にこの本をプレゼントしたとき「何か一言書いてください」と言われました。本にサインをするのは久しぶりだったので、以前のように「no pain, no gain」と書こうと一瞬思ったのですが、同時に心のなかから「やめておけ」という声が聞こえてきました。

 なぜか。それは現在の私がもはや「no pain, no gain」が正しいと思っていないからです。今年54歳になる今となって思うのは、「人生は努力だけではどうにもならないことがある」ということで、より正確に言えば「努力できること自体が幸運だ」となります。

 過去のコラム「『偏差値40からの医学部再受験』は間違いだった」でも述べたように、私はこれまでの人生で、不幸としかいいようのない運命の人たちに出会ってきました。もちろん、私が直接知らない人のなかにも「不幸」以外に言葉が見つからないような境遇の人は世界中にたくさんいます。ある日突然、戦争が始まり難民になることだってありますし、肌の色が原因でいきなり暴力の犠牲になったり、突然不治の病を宣告されたり、自分に責任のない交通事故の犠牲となり障害を負ったり......、とそういったことはいくらでもあります。そのような運命に遭遇した人に向かって「no pain, no gain」などと言えるわけがありません。

 その過去のコラムで述べたように、「努力ができるのも幸運に恵まれたから」であり、「ならば与えられた境遇で精一杯のことをやる」のが正しい生き方ではないかといつしか考えるようになりました。シェークスピアの名言「All the world's a stage」が示すように「この世のすべては舞台だ」と考え、与えられた役割を演じるのです。

 私が総合診療医を目指すようになったのは、研修医の頃に訪れたタイのエイズホスピスで出会った欧米の総合診療医たちの影響です。彼(女)らは、患者さんの訴えをすべて聞き入れ、日本の専門医がよく口にする「それはうちの科じゃありません」というセリフを決して言いません。たいていの訴えはきちんと聞いて診察・治療をおこない、自身で診られない症状や疾患についても何らかの助言をおこないます。そういった診療の姿をみるにつれ、「これが医師が患者を診るべき姿だ」と直感した私は帰国後、総合診療医になることを決意しました。

 その後は決意が揺らぐことなく総合診療医の道を進んできました。どのような患者さんのどのような訴えも聞くように努めています。患者さんとの距離は近くなり、家族や親友にも話していないようなことを聞く機会もよくあります。もちろん話を聞くだけでは意味がなく、その患者さんにとって最善の治療をおこなわなければなりません。そのための知識と技術の吸収をやめることはできません。

 そういった診療を15年以上続けてきて思うことのひとつに「<性>は人間にとってとても大切なこと」があります。患者さんの訴えの"裏側"には「性」が隠れていることが多々あるのです。また、生活習慣の改善にはパートナーの協力が得られるか、パートナーのために治療に前向きになることはできるか、そもそもパートナーはいるのか、性的指向は同性か異性か、もしかすると性自認が揺らいでいるということはないか、リビドーがその人の行動に影響を与えていることはないか、といったことを考えるべきこともあります。

 医学部入学、研究者から医師への進路変更、タイでの総合診療医との出会い、帰国後の大勢の患者さんとの出会いなどの運命を通して、培ってきた経験を他人に伝え、そして与えられた"舞台"で役割を演じるのが今の自分の運命だと思っています。