はやりの病気

第138回(2015年2月) 不眠症の克服~睡眠時間が短い国民と長い国民~

 その昔、誰に聞いたかは忘れましたが、それは学校の先生か、塾の先生か、あるいは勉強のできる友達か先輩あたりだと思うのですが「四合五落」という言葉を教えてもらいました。これは、受験生は四時間の睡眠時間なら合格できるけれど五時間も眠れば落ちる、という意味です。

 この言葉は私が高校を卒業してからは一度も聞いていないので、すでに「死語」になっているのではないでしょうか。今、このような言葉を生徒に教えている教師がいるとすればそれは問題です。

 私自身は「四合五落」という言葉を心底から信じたわけではありませんが、高校三年の終盤、受験勉強を初めて真剣にやりだした時は睡眠時間が五時間を越えないように努めていた記憶があります。もっとも、私の場合、無理をして睡眠時間を短くしていたわけではなく、中学・高校とラジオの深夜放送にはまっていたために、中一の夏頃にはすでに連日が睡眠不足という日々が続いていました。中高時代はその生活に慣れてしまっていて、五時間の睡眠時間でも、日中に(つまり授業中に)30分程度の昼寝をすれば、それほど苦痛ではありませんでした。

 ただ、もう一度人生をやり直せるとしたら、今度はもっと睡眠をとるような生活を心がけます。「寝る子は育つ」が事実だということを知ったのは私が医学部に入学してからで、このときに10代の頃毎日深夜まで起きていたことを後悔しました。私の身長は172cmでこれは中3から止まったままです。もしもしっかり睡眠を取っていたらあと5cmは伸びたかな・・、といった空想をときどきしてしまいます。もっとも、私が中学・高校時代を過ごした1980年代はラジオの深夜放送の全盛期であり、タイムスリップしたとしてもやっぱり同じことをしてしまうかな・・・、などとも考えてしまいます。

 話をすすめましょう。睡眠は1日に何時間くらいが適切か、というのは誰もが考えたことがあり、過去に多くの考察があります。だいたいは、7時間程度が適切だが個人差がある、といった内容のものが多く、経験的にも、そんなものかな・・、という感じがします。しかし、科学というのはもっときちんとしたものでなければなりません。

 医学誌『Sleep Health』2015年2月2日号(オンライン版)に、NSF(National Sleep Foundation、和訳すると「米国睡眠財団」くらいになるでしょうか)と呼ばれる組織が、これまでの研究を総括するような睡眠時間の勧告をおこないました(注1)。

 専門家たちからなる研究チームは、これまでに報告されている多数の論文を拾い上げ、合計575本の論文を吟味し、最終的に科学的に有用と判断された312の論文を解析しています。これだけ大規模な研究ですから、信憑性はかなり高いといえると思います。

 結果は年齢別に公表されています。14~17歳では、最適睡眠時間は8~10時間で、これより短くても長くても適切でない、とされています。18~64歳では7~9時間、65歳以上では7~8時間です。18歳でも7時間以上は必要なわけで、昔の大学受験生が聞かされていた「四合五落」などというのは完全な誤り、ということになります。

「四合五落」といった馬鹿げた言葉があるのはおそらく日本だけでしょう。では、世界各国ではどれくらいの睡眠時間を取っているのでしょうか。OECD(経済協力開発機構)が興味深いデータを公表しています(注2)。各国の平均睡眠時間が比較されているのです。

 このデータによりますと、OECD加盟国の平均睡眠時間が8時間19分で、日本は7時間43分とかなり短く順位は下から2番目です。ちなみに最も睡眠時間が短いのは韓国で7時間41分ですが、全体からみれば日本と韓国の二国が群を抜いて短い睡眠時間であることが分かります。

 一方、睡眠時間が多いのは、このデータではニュージーランドの8時間46分ですが、南欧はどこも多いようです。どこで聞いたかは忘れましたが、世界一睡眠を大切にする国はフランス、という言葉を耳にしたことがあります。そこでフランスをみてみると8時間29分とやはり長いようです。

 このサイトで何度か「フレンチ・パラドックス」について述べたことがあります。フランス人は脂っこい料理をよく食べておまけに喫煙率も高いのに心筋梗塞などの心疾患の罹患率が少ない、というものです。一部の学者は統計の取り方に問題があり、フランス人に心疾患が少ないわけではない、すなわちフレンチ・パラドックスは存在しない、と言いますが、依然フレンチ・パラドックスを支持する意見も多数あります。またフランス人は肥満が少ないというデータがありこれは客観的な事実です(注3)。

 フレンチ・パラドックスが生じる理由に赤ワインが指摘されることがありますが、私は「何を食べるか何を飲むかではなく、ゆっくりと食べることが健康にいいのでは?」という自説を述べました(注4)。

 私はフレンチ・パラドックスの本当の理由としてもうひとつ、「睡眠時間の長さ」があるのではないかと考えています。私がこれまでに接したフランス人はそれほど多くはありませんが、彼(女)らは「よく眠れたか」など睡眠に関する話題をよく口に出します。フランスベッドが高級品であることからも分かるように、フランス人は睡眠時間だけでなく睡眠の質にこだわります。

 健康を維持する秘訣として、私が以前から提唱しているのは「3つのE」です(注5)。これは「3つのEnjoy」と覚えてほしいのですが、Early-morning wake up(早起きして質のいい睡眠を確保する), Exercise(運動), Eating(食事)です。Early-morning wake upは、早く起きることそのものよりも重要なのは毎日同じ時間に起きて同じ時間に眠る、ということです。フランス人は、これができて、食事もゆっくりと食べることで健康を維持できているのでは、というのが私の考えです。

 以前フランスに詳しいある人(日本人男性)から興味深いことを聞きました。その男性は強靱な肉体を維持していて自衛隊に入隊していたこともあるそうなのですが、フランスで街を歩くと、ヒールを履いた女性に追い抜かされるというのです。つまりフランス人は速く歩くことによって効果的な運動(Exercise)もできているというわけです。歩く速さは大阪が世界一とどこかで聞いたことがあるのですが、フランス人の歩く速度は大阪人よりも速いのでしょうか。ちなみにこの日本人男性によると、フランス人(特に女性)に抜かれることと、犬の糞があまりにも多いことがフランスの歩道の特徴だそうです。

 以上をまとめると、フランス人は、睡眠、食事、運動のすべてにおいて健康的ということになります。OECDのデータによると、フランスの平均寿命は82.1歳(2012年)で、これは、日本、アイスランド、スイス、スペイン、イタリアについで第6位になります。もしもフランス人の喫煙率が下がればもっと伸びるのではないでしょうか。(尚、ここで詳しい言及は避けますが、日本人の平均寿命が長いのは「寝たきり」が多いからであり、健康年齢でみると海外諸国よりも短いのでは?という意見もあります)

 さて、問題はここからです。18歳以上は7時間以上の睡眠が必要、と言われても、残業時間の多い人などは物理的にそんなに睡眠時間を確保できないと考えるでしょう。また、時間を確保できたとしても眠りたいのはやまやまだが眠れなくて困っている、という人もいるでしょう。

 眠れないなら睡眠薬、という考えは間違いです。実際、医療機関では「眠れないから睡眠薬を処方してください」という患者さんに、「はい。では出しましょう」と簡単に睡眠薬を処方するわけではありません。まずは、薬なしで睡眠がとれる生活習慣の指導から始まります。次回はそのあたりをお話したいと思います。


注1:この論文のタイトルは「National Sleep Foundation's sleep time duration recommendations: methodology and results summary」で、下記URLで全文を読むことができます。
http://www.sleephealthjournal.org/article/S2352-7218%2815%2900015-7/fulltext


注2:OECDのこのデータは下記で参照することができます。
http://www.oecd.org/gender/data/balancingpaidworkunpaidworkandleisure.htm


注3、注4:詳しくは下記コラムを参照ください。
メディカルエッセイ第142回(2014年11月)「速く歩いてゆっくり食べる(後編)」


注5:逆にすぐにでもやめるべきなのは「3つのS」です。詳しくは下記コラムを参照ください。

メディカルエッセイ第129回(2013年10月)「危険な「座りっぱなし」」