はやりの病気

第148回(2015年12月) 不眠治療の歴史が変わるか

 太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)の患者さんは睡眠の悩みを訴える人が多く、毎日のようにその苦痛を聞いています。谷口医院の患者さんは働く若い世代が多いですから、「睡眠」の悩みとして一番多いのは狭い意味での不眠ではなく、「眠る時間の確保ができない」、つまり「労働時間が長すぎて困っている」、というものです。

 過去に述べたように、睡眠不足は作業効率を落とし(飲酒運転と同じ!)、いろんな病気のリスクになります(注1)。また日本人を対象とした研究で「睡眠不足は死亡率を高くする」とするものもあります(注2)。

 睡眠に関するもうひとつの問題が「睡眠時間を確保しても眠れない」、つまり「不眠」です。不眠があるからといって、それだけで睡眠薬を処方するわけにはいきません。まずは規則正しい生活ができているかどうかの見直し、そして原因になっているものがないかどうかの検討をしなければなりません。実際、不眠の原因が内分泌疾患(最多が甲状腺機能亢進症)であったり、薬剤性であったり、ということはしばしばありますし、うつ病など精神疾患であることも珍しくありません。その場合、まずは原疾患の治療が必要になります。

 不眠の原因が特に見当たらず、生活習慣の見直しをおこなったけれどもそれでも不眠が続くという場合には「睡眠薬」の検討を開始することになります。

「睡眠薬」という表現以外に「入眠剤」「睡眠補助薬」「睡眠改善薬」などいろんな言葉があり混乱を招いています。ここはきちんと分類しておかないと話がややこしくなりますから、この時点で整理したいと思います。現在使われている「睡眠の薬」を分類すると次のようになります。

①ベンゾジアゼピン系:現在日本で使用されている大多数
②非ベンゾジアゼピン系:ゾルピデム(マイスリー)、ゾピクロン(アモバン)、エスゾピクロン(ルネスタ)
③メラトニン受容体作動系(ロゼレム)
④オレキシン受容体拮抗薬(ベルソムラ)
⑤バルビツール酸系
⑥非バルビツール酸系:ブロバリンなど

 ①ベンゾジアゼピン系が最も使用されているもので、商品名でいえば、ハルシオン、レンドルミン、リスミー、ベンザリン、ユーロジン、エリミン、サイレース、ロヒプノールなどが相当します。ごく短時間しか作用しないものから長時間作用するものまで、また比較的弱いものから強力なものまでそろっており、多くの場合すぐに効果がでますから、「確実に眠りたいときには便利な薬」という言い方ができるかもしれません。

 しかし危険性は小さくありません。まずベンゾジアゼピン系には「依存性」という大変やっかいな問題があります。これは文字通り睡眠薬に「依存」してしまう、つまりある程度使い続けるともはやベンゾジアゼピンなしでは眠れない身体になってしまう、いわば一種の「薬物依存」です。睡眠薬に限らず薬というのは減らしていくことを考えなければなりませんが、ベンゾジアゼピン系というのは依存を断ち切ることが最も困難な薬のひとつなのです。

 ベンゾジアゼピン系には「反跳性不眠」という問題もあります。これは、ベンゾジアゼピン系をある程度使い続けると、中止したときに、薬を始める前よりも不眠の重症度が強くなる、つまり、睡眠薬を使ったことにより、使う前よりも不眠症がひどくなってしまうことを言います。「依存性」と「反跳性不眠」の2つがベンゾジアゼピン系の代表的な問題点です。

 ベンゾジアゼピン系にはまだ問題があります。「筋弛緩作用」がありこれは転倒のリスクになります。また日中の倦怠感や眠気が起こることもあります。特に高齢者ではこういったリスクが増大し、実際海外では多くの国で65歳以上の高齢者には使用してはいけないことになっています。一方、日本ではベンゾジアゼピン系の使用が諸外国に比べ極めて多いことがしばしば指摘されます。さらに、充分なコンセンサスが得られているとまでは言えませんが、一部にはベンゾジアゼピン系が認知症のリスクになるとする報告もあります。

 ベンゾジアゼピン系にそんな問題があるなら②非ベンゾジアゼピン系に期待したいところですが、非ベンゾジアゼピン系も、化学構造がベンゾジアゼピン系とは異なるというだけで、実際の効果や副作用はベンゾジアゼピン系と変わりません。実際、過去に紹介した悲惨な事件の原因(注3)となったのは非ベンゾジアゼピン系の代表ともいえる「ゾルピデム(マイスリー)」です。

 ③は副作用が少なく、依存性もない大変使いやすい薬で、登場したときには期待が大きかったのですが、残念ながら効果に乏しくこれでは眠れないという人が少なくありません。この薬は国によっては薬としては認められておらず「サプリメント」の扱いです。

 ⑤と⑥はかなり強い薬で副作用が多く重症例にしか使われないものです。重症例に限り精神科専門医により処方される薬と考えればいいでしょう。

 今、もっとも注目されているのが④オレキシン受容体拮抗薬(ベルソムラ)です。この薬は日本人の学者により開発され2014年12月から処方開始となりました。オレキシンというのは脳でつくられる覚醒を維持するホルモンと考えればいいと思います。オレキシンがオレキシン受容体と結合することにより人は覚醒していられる、というわけです。ベルソムラはそのオレキシン受容体をブロックすることにより、オレキシンの作用を抑制するという仕組みです。

 このような理屈よりも重要なのが実際の効果と副作用です。まず副作用からみていきましょう。ベルソムラの最大の特徴は、(非)ベンゾジアゼピン系の欠点である「依存性」と「反跳性不眠」がないということです。これは大変大きいことです。副作用がまったくないわけではなく(たとえば眠気が昼間に持ち越されるといった副作用はありえます)、また歴史の新しい薬ですから長期使用での安全性については未知の部分もありますが、ベルソムラは従来の睡眠薬に比べて随分と使いやすい画期的な薬といえます。

 ③のロゼレムが登場したときも同じようなことが言われましたが、残念ながら、先にも述べたようにロゼレムでは効果が不十分であることが多かったのです。ベルソムラはロゼレムに比べて、睡眠効果も高く今後ますます使用されていくことになると思われます。

 ただし、谷口医院の患者さんをみていると、ベルソムラは、キレの良さというか、効果の強さでいえばやはり従来の睡眠薬、つまり(非)ベンゾジアゼピン系よりは弱いといえます。それに、これまで(非)ベンゾジアゼピン系を使っていた患者さんに、直ちにベルソムラに切り替えてもらってもたいていは上手くいきません。

 そこで、谷口医院では、現在(非)ベンゾジアゼピン系を使っている患者さんに対しては、いきなりベルソムラに変更するのではなく、まずはこれまで通り(非)ベンゾジアゼピン系を使用してもらいベルソムラを併用します。しばらくしてから、(非)ベンゾジアゼピン系の量を少なくします。たとえば1/2の量、もっと慎重に進める場合は3/4程度にします。そして少しずつ(非)ベンゾジアゼピン系を減らしていき、最終的にはベルソムラのみにするのです。ロゼレムで上手くいかなかったケースでもベルソムラでは成功することが多いといえます。

 先にも述べたように新しい薬というのは長期で使用して初めて判る副作用もありますから、ベルソムラの場合も手放しに歓迎というわけにはいきません。しかし、今後(非)ベンゾジアゼピン系の使用を大幅に減らすことは期待できそうです。


注1:詳しくは下記「はやりの病気第139回」を参照ください。

注2:下記に簡単な紹介がされています。

http://jeaweb.jp/journal/abstract/vol014_04.html

注3:詳しくは下記「はやりの病気第124回」を参照ください。

参考;はやりの病気

第138回(2015年2月)「不眠症の克服~睡眠時間が短い国民と長い国民~ 」
第139回(2015年3月)「不眠症の克服~「早起き早寝」と眠れない職業トップ3~」
第86回(2010年10月)「新しい睡眠薬の登場」
第124回(2013年2月)「睡眠薬の恐怖」