メディカルエッセイ

第185回(2018年6月) ウイルス感染への抗菌薬処方をやめさせる方法

 「待ち時間が長い」を除けば、2007年時のオープン以来、太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)で最も多いクレームが「希望する診療(検査・薬・点滴など)をやってもらえなかった」です。一方、我々医療者としては、その患者さんにとって有益とならないものや、かえって害を与えるような診療はいくら頼まれてもできません。つまり、患者さんと我々医療者の認識に「差」があるわけで、この「差」をなんとかしてなくせないか、というのが谷口医院オープン以来のテーマでした。

 2010年頃から欧米のウェブサイトや医学誌に「choosing wisely」という言葉がちらほらと目立つようになってきました。直訳すると「賢く選択」となりますが、要するに「ムダな検査や薬をなくそう」という考えです。この概念が普及すれば医療者患者間の「差」がなくなるに違いない...。そうひらめいた私はなんとかしてchoosing wiselyを社会に広めたいと考えました。2015年頃からは、一部の医療者たちの間にも浸透しだしましたが、ほとんどの医師は「まず医師に広めること」を重視していて、一般市民(患者さん)に知ってもらおうと考える私のような医師は少数でした。

 ならば、とりあえず私一人でも何かしようと考え、このサイトでChoosing wiselyについて紹介することにしました。初めて紹介したのは2015年1月ですから、はや3年半ほど経過しました。同時に、医療者(主に医師)に対しても、いくつかの学会や研究会で発表をおこなってきました。

 「Choosing Wisely Japan」という団体が有志の医師たちを中心に作られ、ウェブサイトもあるのですが、一般市民に対しては今一つ普及していないように思えます。トップページの一番新しい「お知らせ」が、2017年9月であることからもそれが伺えます(2018年6月現在)。

 そんななか、私にとっては大変ショッキングな調査が発表されました。2018年6月1日、岡山で開催された第66回日本化学療法学会学術集会で報告された同学会と日本感染症学会の合同調査委員会が実施した抗菌薬処方の調査です。ウイルス性の普通の風邪「感冒」と診断した患者やその家族が抗菌薬を希望した場合、「希望通り処方する」と答えた医師が12.7%、「説明しても納得しなければ処方する」が50.4%で、なんと6割以上が「不要な」抗菌薬を処方していると言うのです。(報道は2018年6月3日の朝日新聞)

 「風邪をひいたから抗生物質をください」と訴える患者さんは非常に多く、なかには抗菌薬の種類を指定してくる人すらいて驚かされます。まるでバーで好みのカクテルを注文するような感じです。ちなみに、多くの患者さんは抗菌薬とは言わず、なぜか「抗生物質」「抗生剤」などと呼びます。抗菌薬を"魔法の薬"のように捉えていて、漢字は抗生剤ではなく「更生剤」または「校正剤」と勘違いしているのでは?と疑いたくなることもあります。

 風邪の定義を「急性の上気道炎症状(咽頭痛、咳、鼻水、痰など)」とすると、風邪の9割以上はウイルス性のもので抗菌薬は無効、というより副作用のリスクを考えるとマイナスです。医療機関を受診するのは中等症から重症の風邪になるわけですが、それでも谷口医院の例で言えば、風邪で受診するケースの8~9割はウイルス感染であり抗菌薬は不要です。また、細菌感染だからといって必ずしも抗菌薬が必要になるわけではなく、比較的軽症の場合は処方しません。

 先に述べた日本化学療法学会で発表された報告は、「ウイルス性の普通の風邪と診断したとき抗菌薬を処方するか」というもので、当然ゼロになっていなければおかしいわけです。これは医師でなくても誰でも同じように答えることになるはずです。なぜならこの質問は「ウイルス性の風邪には抗菌薬は無効です。あなたはウイルス性の風邪に抗菌薬を処方しますか。抗菌薬には多くの副作用のリスクがあり、ときに重症化することもあります」というものだからです。これで処方すると答える人がいれば話を聞いてみたいものです。

 もちろん私の周りにはこのような医師はひとりもいません。ですが、全体の6割以上の医師が処方しているとは...。俄かには信じがたいのですが「理解不能。そんな医師は狂っている」と思考を止めてしまえば何も解決しませんから、なぜこのような医師がいるのか(しかも6割!)を考えてみたいと思います。

 医療者以外の人からよくある指摘に「抗菌薬を処方すれば医療機関が儲かるのでは?」というものがあります。しかしこれはありえません。このサイトで「医療機関は営利団体ではない」という話は繰り返ししていますが、それが信じられないという人も、仕入れ値を聞けば理解できるはずです。薬の差益(薬価-仕入れ値)はほぼゼロです。例えば比較的私がよく処方する抗菌薬サワシリンは1カプセルの薬価が11.3円で仕入れ値は11円ほどです。1錠あたり1円の差益もありません。なかには1錠数百円もする高価な抗菌薬もありますが、それでもせいぜい数円ほどしか差益はないはずです。ただ、たしかに何らかの薬を処方すれば処方代620円(院内処方の場合)、処方箋発行代680円(院外処方の場合)が利益にはなります。しかし、これは抗菌薬でなく他の薬(たとえば痛み止め1錠)でも同じです。(参考:メディカルエッセイ第171回(2017年4月)「こんなにも不便な院外処方」

 不要と分かっている抗菌薬を医師が処方する理由として私が思いつくのは「患者さんから脅される」というものです。脅すとは物騒な...、と感じる人もいるでしょうが、「金払うゆうてるやろ!」とすごんでくる人は実際にいますし、淑女のようなおとなしい雰囲気の女性が「お金はらうのあたしですよね・・・」と穏やかでない雰囲気でつめよってくることもあります。もちろん私は「患者さんの利益にならないものは処方できません!」とつっぱねますが、気の弱い若い医師なら"面倒なこと"を避けるためについつい処方してしまうのかもしれません。 

 こういうシチュエーションで患者さんを怒らせてしまうと「後味の悪さ」が残ります。「議論で打ち勝って爽快!」とはなりません。患者さんはときに大声を出しますから(谷口医院は防音の扉にしていますが)他の患者さんに異様な空気を察知されるかもしれませんし、その直後はこの空気のせいでスタッフどうしの会話もぎこちなくなります。ですが、患者さんの健康のことを考えれば、そういう"面倒なこと"を避けて抗菌薬の不本意な処方をおこなうことは絶対にできないのです。

 患者さんとの「喧嘩別れ」は極力避けなければなりませんが、谷口医院でも年に1例くらいはこういうケースがあります。ただ、「喧嘩別れ」全体で言えば、谷口医院の場合「不要な薬」より「不要な検査」の方がずっと多い傾向にあります。むしろ、抗菌薬については当院を長くかかりつけ医にしている患者さんからは「良かった~。抗菌薬は不要という先生のその言葉を聞くために今日は受診したんですよ」と言われることもありますし、年々こういった患者さんが増えています。

 その理由はいくつかありますが、おそらく最大の理由はグラム染色の像を実際に患者さんに見てもらっているからだと考えています。咽頭の赤いところや喀痰を使ってグラム染色という特殊な検査をおこなうと、細菌と炎症細胞(白血球)を目で確認することができます。これで細菌感染かウイルス感染か、細菌感染ならどういった系統の細菌がどの程度増殖しているかをある程度までなら簡単に知ることができます。

 ですから、谷口医院に見学にくる医学生や研修医にはグラム染色の重要性を力説し、実際に私が患者さんに「抗菌薬不要です」と言っているシーンを見てもらっています。私の任務は「抗菌薬が不要であることをいかに患者さんに分かりやすく伝えるか」を研修医に伝授することだと認識しています。

 冒頭で述べた私のもうひとつの"任務"である「一般の人にchoosing wiselyを広めること」については、3年前のコラムで具体的事例をまとめて公開することを約束しましたが、ほとんどできていませんでした。今も完成しているとは言い難いのですが、ある程度つくったものを現在は公開しています。

 choosing wiselyの一般市民への普及。それは医師としての残りの人生で私がどうしてもやりたいことのひとつなのです。

参考:
メディカルエッセイ第144回(2015年1月)「Choosing Wisely(不要な医療をやめる)(前編)」
メディカルエッセイ第145回(2015年2月)「Choosing Wisely(不要な医療をやめる)(中編)」
メディカルエッセイ第146回(2015年3月)「Choosing Wisely(不要な医療をやめる)(後編)」 
マンスリーレポート2016年11月「Choosing Wiselyが日本を救う!」
マンスリーレポート2016年12月「Choosing Wiselyがドクターハラスメントから身を守る!」
メディカルエッセイ第172回(2017年5月)「医師に尋ねるべき5つの質問」
はやりの病気第160回(2016年12月) 「choosing wiselyで考えるノロウイルス対策」