はやりの病気

第100回 不活化ポリオワクチンの行方 2011/12/20

 2011年12月15日、神奈川県は希望者に対し、ポリオ(正確には「急性灰白髄炎」といいます)の不活化ワクチンの有料接種を開始しました。開始となったこの日は合計47人が県内の福祉事務所でワクチン接種を受けたそうです。また、12月7日の時点ですでに予約者が1,122人に上っているとの報道もあります。

 この経緯は各マスコミで今年の秋頃から頻繁に取り上げられていますが、ここで簡単に振り返っておきたいと思います。

 まず、数年前から現在おこなわれているポリオの生ワクチンの危険性が頻繁に指摘されだし、海外では経口ワクチンから不活化ワクチンへの切り替えがおこなわれているという背景もあり、日本も不活化ワクチンを導入すべきという発言を有識者がおこなうことが増えてきました。

 結果として厚生労働省に対立するようなかたちをとった神奈川県の黒岩祐治知事も、そういった有識者のひとりです。黒岩知事は、知事に就任する前に厚生労働省予防接種部会のメンバーをつとめていたこともあり、その頃から不活化ワクチンへの切り替えを積極的に主張していたそうです。

 黒岩知事が、「国が動かないなら神奈川県独自で不活化ワクチンを導入する」という意思表明をすると神奈川県在住の人たちはこれに賛同し、神奈川県以外に住んでいる人のなかには、「神奈川以外では生ワクチンしかないなら不活化ワクチンが接種できるようになるまでワクチン接種をしない」、と考える人が増えてきました。

 このような情勢を受け、厚労省は2011年10月4日付けで、正式に、各都道府県に「不活化ワクチンの導入まで接種を待つことは勧められない」という通達をおこないました。さらに、小宮山洋子厚生労働相は10月18日と19日の2日間にわたり、記者団に対して「未承認で公的な健康被害の救済制度がない不活化ワクチンを神奈川県が主導してまとまった形で接種するのは慎重にしてほしい」と述べ、神奈川県の方針を繰り返し批判しました。

 しかし、黒岩知事の方針に賛成する世論は次第に大きくなっていきました。そして偶然にもこのタイミングで、「WHO(世界保健機関)が生ワクチンの段階的廃止を検討中である」ということをカナダ医師会雑誌(CMAJ)の公式ニュースが11月11日に伝えるという出来事があり、これが黒岩知事にとって追い風となりました(と、私はみています)。

 結果的には、「厚労省の反対を押し切って黒岩知事が不活化ワクチンを導入した」となったわけですが、両者の主張を比較してみると、黒岩知事の主張の方が明快でわかりやすいといえます。すなわち、「生ワクチンは少ない頻度とは言え重篤な副作用が起こりうる。ならば、海外ではすでに標準的になっており安全性の確立されている不活化ワクチンを接種すべき」、というもので説得力があります。

 一方、厚労省は「なぜ不活化ワクチンを輸入しないのか」という単純な疑問に明確な回答をしていません。そんななか、2011年12月8日についに小宮山厚生労働相は参議院厚生労働委員会で、「生ワクチンから不活化ワクチンへ切り替える決断が遅かったと思っている」との見解を述べました。小宮山大臣が"正直に"見解を述べたことは評価できるとしても、「導入するならポリオ不活化ワクチン単独ではなく、DPT三種混合(ジフテリア・百日咳・破傷風の3種混合ワクチン)と合わせた四種混合ワクチンの開発及び導入を検討する」と発言していることには首をかしげたくなります。

 以前医療ニュース(下記参照)でも述べましたが、なぜ厚労省は「混合ワクチン」にこだわるのでしょうか。海外で実績のあるポリオ不活化ワクチンを、神奈川県がおこなったのと同じように輸入すれば済むだけの話なのに、です。

 ここでポリオとはどのような感染症かを確認しておきましょう。

 ポリオとは、乳幼児を襲い(成人への感染もないわけではありません)、生涯にわたり麻痺を残す大変やっかいな感染症です。私が子供の頃は、ポリオに罹患して足をひきずって歩いている人が周囲に何人かいたことを記憶しています。(もっとも、医学の知識のない子供の頃の記憶ですから、そのなかには他の原因の麻痺も混じっていたかもしれません) ポリオに罹患しても特に寿命が短くなるわけではありませんから、今でも麻痺を抱えて生活している人は少なくないはずです。(幼少時にポリオに罹患し現在医師をされている人もいます)

 ポリオは経口感染です。つまり病原体(ウイルス)が何らかのきっかけで口から取り込まれ腸管から体内に吸収され最終的には脊髄を侵します。ポリオウイルスは運動をつかさどる神経だけを侵すために筋肉を動かすことができなくなりますが、感覚は健常者と何らかわりません。そして運動神経が麻痺した結果、足はだらんと垂れ下がるようになり、これがポリオによる麻痺の特徴です。

 いったん麻痺を発症すると手立てがなくどうしようもありません。しかし知能が低下するわけではありませんし生命予後は健常者と何ら変わりません(注1)。運動麻痺とは生涯付き合っていかなければなりません。この苦しさは健常人には到底分からないものと言えるでしょう。しかし、ポリオには治療法はありませんが、ワクチン接種をしておけばほぼ100%感染を防ぐことができます。

 日本では、1940年代頃から全国各地でポリオの流行がみられ、1960年には北海道を中心に5,000名以上の患者が発生しました。そのため1961年に生ワクチンを緊急輸入し(たしかソ連からだったと思います)、一気に罹患者が激減しました。これは文字通りの「激減」であり国内では1980年の発症が最後でそれ以来1例も発症していません。わずか数滴のシロップを2回飲むだけ(注射ではないので痛みもなし)でほぼ100%ポリオを予防できるわけですから、当事は「夢の薬」と思われたに違いありません。

 ポリオは世界的にみても大きく減少しており、WHOは世界的な根絶宣言を2005年末に行う予定でいました。しかし2010年の時点で、インド、パキスタン、アフガニスタン、ナイジェリアの4カ国で報告があり、 2011年7月には中国で4例の発症がありました(下記医療ニュース参照)。

 では今後はこの4カ国(+中国)以外の地域では安心か、と言われると決してそういうわけではありません。例えば世界を放浪しているバックパッカーがインドのバラナシあたりの安宿でポリオに感染し、バンコクのカオサンロードに移動し、そこに旅行に来ていた日本人に感染し、翌週に成田空港がパニックに・・・、というストーリーも考えられなくはありません。

 大人は大丈夫かというとそういうわけでもありません。ポリオは確かに子供がほとんどの病気ですが、成人に感染することもまったくないわけではありません。また、子供の頃にワクチンを接種しているから大丈夫、というわけでもありません。実際、私が自分自身の抗体の有無を調べてみると、2型のみ陽性で、1型と3型は陰性でした。そして先に述べた2011年7月に中国でみつかったポリオは1型だったのです。

 必要以上に恐怖心を持ってほしくはないのですが、これだけ簡単に世界中を移動できる時代ですから、日本にいるから安心、とは言えないのです。生ワクチンと不活化ワクチンのどちらにすべきかという問題はさておき、少しでも早い時期に接種をおこなうことが必要です(注2)。そして、世界的には不活化ワクチンに移行しつつあることと、神奈川県がすでに実施していることを考慮すれば、厚労省は1日でも早く公費での不活化ワクチンの接種を認めるべきでしょう。

 では、なぜ厚労省は混合ワクチンにこだわり、神奈川県がおこなっている海外の不活化ワクチンの輸入に躊躇するのでしょうか。私にはこの理由がまったくわかりませんが、まさか国内ワクチンメーカーと厚労省の癒着とか、そのメーカーが役人の天下り先になっているなどということはないと願いたいものです・・・。


注1:ただし中年期以降に「ポストポリオ症候群」という状態になることがあります。これは全身の筋肉がやせほそり強い疲労感を感じるようになり、ひどい場合は日常生活も困難になってきます。ポリオを抱えて生きている人たちのなかには、ポストポリオ症候群を発症するのではないかという恐怖を常に感じているという人もいます。

注2:ワクチンをいつから開始するかは議論の分かれるところですが、私個人としてはできるだけ早期に接種すべきと考えています。生ワクチンなら生後3ヶ月、不活化ワクチンなら2ヶ月の時点で1回目を接種することができます。成人の場合は、特に急ぐ必要はないでしょうが、例えばパキスタンやインドの奥地に行くような場合は渡航前に不活化ワクチンを接種しておいた方がいいかもしれません。

参考:
医療ニュース
2011年9月26日「中国でポリオが発生」
2011年5月30日「不活化ポリオワクチンがついに導入か」
2010年12月17日「ポリオ不活化ワクチンを求め患者団体が署名提出」
2010年2月22日「神戸の9ヶ月男児がポリオを発症」

メディカルエッセイ第90回(2010年7月)「理想のワクチン政策とは・・・」

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