メディカルエッセイ

第57回(2007年10月) 覚醒剤大国ニッポン

 2007年9月18日、新宿のあるクリニックが依存性の高い向精神薬「リタリン」を投薬の必要のない患者に不適切に処方したとして、東京都と新宿区が医療法に基づいて立ち入り検査をしたことが大きく報道されました。

 一連の報道で一躍有名となったこの「リタリン」という向精神薬は以前から一部のジャンキーの間ではよく知られており、医療者の頭を悩ませていました。

 リタリンの一般名は「メチルフェニデート」、分かりやすく言えば「覚醒剤類似物質」です。そのような薬物が本当に治療に使われるのか、疑問に感じる人もいるかもしれませんが、ナルコレプシーという日中に突然眠ってしまう病気に対して処方されることがあります。また、保険適用はなく自費での処方となりますが、注意欠陥性多動障害(ADHD)の治療に使われることもあります。

 さらに、重症のうつ病に使われることもあります。しかし現在では、うつ病には副作用が少なく安全に使えてなおかつ効果の高い抗うつ薬が多数ありますから、うつ病に対してリタリンが使用されるケースはごく限られています。

 以前から、リタリンを大量に服用すると覚醒剤(メタンフェタミンやアンフェタミン)と同様の効果が得られることはよく知られており、そのため一部のジャンキー(シャブ中)は複数のクリニックを訪れリタリンの処方を求めていました。

 (私の記憶が正しければ)2003年には、全国の医療機関に「リタリンを安易に処方しないように」との通達がなされました。その頃には少なくとも医療関係者の間では「リタリン中毒」は大きな問題でした。

 リタリンを欲しがるジャンキーのなかには巧妙な手口を使う者もいます。ナルコレプシーについて勉強し、自分があたかもナルコレプシーに苦しんでいるかのように医者の前で演技するのです。実際、当院にも「ナルコレプシーの薬を処方できますか」という問い合わせが過去何回かありました。

 今回立ち入り検査を受けた東京のクリニックは、リタリンをほしがる患者に対し無秩序に処方していたと報道されています。こういった報道が本当だとすると、患者を守るべきはずの医療機関が逆に患者を苦しめることを助長していることになり(リタリン中毒≒覚醒剤中毒で、覚醒剤中毒者が身を滅ぼすのは時間の問題です)、にわかには信じがたいことです。

 ただ、この東京のクリニックは、2006年12月、院長が診察結果の説明を求めた女性患者に対し「説明しても分からないだろう」と暴言を吐いた上に、この患者を壁に叩きつけるなどの暴行を加え3週間のケガを負わせたとして翌月逮捕されていますから、今回のリタリン不適切処方もあり得ることかもしれません。

 医師をしていると遺法薬物のユーザーを診る機会が少なくありません。遺法薬物にもいろんなものがありますが、日本ではやはり最多を占めるのは覚醒剤(アンフェタミンとメタンフェタミン)でしょう。内服が主流なことから安易に服用されるMDMA(エクスタシー)に依存している人も少なくありませんし、(関西では比較的少ないですが)コカインも流通していますが、日本の覚醒剤ユーザーの多さは異常ではないかと私には思えます。麻薬については日本での乱用者は諸外国に比べるとかなり少ないようです。尚、頻度で言えば大麻の方が覚醒剤よりも多いのは自明ですが、これはあまり問題にならない、というか「大麻中毒(依存症)で受診」という人はほぼ皆無です。

 日本で覚醒剤がこれだけ広がっている理由のひとつに「過去には合法だった」ことが挙げられます。かつての日本では、覚醒剤が
「ヒロポン」という名で薬局で合法的に販売されていたのです。世界広しと言えども、覚醒剤が一時的にでも合法だった国は日本を置いて他にはないでしょう。インドの一部の州やオランダで大麻が合法であることは広く周知されていますが、大麻と覚醒剤では危険性に天と地ほどの差があります。

 日本で覚醒剤が広く流通している他の理由としては、「やせる目的で使う」「友達とホンネで話すときのツールに使う(特に若い女性)」「眠らずに働かなければならない」、などが考えられます。

 「眠らずに働かなければならない」ときに使える薬は他にはなく、実際「ヒロポン」のハードユーザーは、深夜のタクシードライバーや長距離トラックのドライバーに多かったと聞きます。

 また、深夜勤務の多い医師の間にも、(人数は多くないと信じたいですが)覚醒剤ユーザーはいます。実際、毎年公表される医師免許停止の処分となった医師の免許停止理由として「覚醒剤取締法違反」というのが必ずあります。2005年に逮捕された覚醒剤中毒の女医については各メディアで大きくとりあげられました。

 では、どうすれば覚醒剤ユーザーを減らすことができるのか......。

 まずは、覚醒剤の危険性を充分に認知させることが必要です。(元)覚醒剤ユーザーと話をすれば分かりますが、彼(女)らはごく軽いきっかけで覚醒剤を始めています。「友達と一緒だったから......」、「(静脈注射ではなく)アブリなら安全だと思ったから......」、「何回かやればそれで終わりにするつもりだった......」、などと答える者が多いのですが、あまりにも覚醒剤を安易に考えすぎです。覚醒剤の味を知ってしまえば、並大抵の努力ではやめられません。タバコとはわけが違うのです。

 次に、覚醒剤に関する罪を重くすることも必要だと思います。現行の法律では、初犯なら密造や密売をしておらず個人使用であればほとんどが執行猶予がつくと言われています。この罪の軽さが覚醒剤使用の敷居を低くしているのではないかと、私には思えてなりません。

 しかし最も問題なのは、これほどまでに覚醒剤がたやすく入手できてしまう日本の環境でしょう。実際、日本ほど覚醒剤が簡単に入手できる国はないと言われています。他方、(私の知る限り)麻薬の日本での入手は難しいように思えます。

 想像を絶するほどの辛い体験をして覚醒剤を断ち切ることに成功した人を私は何人か知っていますが、彼(女)らでさえ、「今でも目の前にシャブを置かれると誘惑に勝つ自信がない」と言います。実際、「日本に帰ると再びシャブに手を出してしまいそうで怖い......」と言って、海外移住を決めるような人もいるのです。

 地域の行政と警察にはもっと本腰を入れて覚醒剤追放に力を注いでもらいたいと思います。また、他人任せにするのではなく、学校や家庭にもできることはあるはずです。マスコミの役割も重要です。私が子供の頃には強烈なインパクトのあるテレビCMがありました。

 もちろん、我々医療従事者の使命もあります。私個人としては、覚醒剤に手を出したくなるような精神状態の改善に注力すべきだと思っています。また、「覚醒剤を断ち切りたいと考えている人」に対するサポートは絶対に必要です。

 ですから、薬物の誘惑に駆られている人や断ち切りたいと考えている人は気軽に医療機関を訪ねてください、と言いたいのですが、患者側からも少し注意が必要かもしれません。

 冒頭で述べた東京のクリニックのウェブサイトを見てみると、トップページの目立つところに次の言葉がありました。

 過眠性の慢性睡眠障害(ナルコレプシー)治療剤の処方を開始しました

参考:
メディカルエッセイ第20回「覚醒剤中毒の女医」
メディカルエッセイ第21回①(全4回)「クスリ」を上手く断ち切るには 」
メディカルエッセイ第22回②(全4回)「クスリ」を上手く断ち切るには 」
メディカルエッセイ第23回③(全4回)「クスリ」を上手く断ち切るには 」
メディカルエッセイ第24回④(最終回)「クスリ」を上手く断ち切るには 」
NPO法人GINA GINAと共に 第13回「恐怖のCM」
NPO法人GINA GINAと共に 第5回「アイスの恐怖」